苦手な論理命題
命題はわかりずらい。
お話をする時に、人はそれほど論理的に考えていない。そんな時に、論理的な矛盾があると、すぐに人の揚げ足をとる人がいる。
たとえば、次の表をみてほしい。
「Aではない」と言ったら、残りはBということになる。
しかし、AとB以外にCという空間があったら、先の問いで、「残りはB」とは断言できない。
こんなイメージだ。Cという場合があるかもしれない。世の中には、Cという存在を人類に知られていないケースは多々ある。そして、発言者はAとBの空間で話をしているのに、上げ足を取るように、Cの話しで遮る人も多い。
次に、下記の図のように、AがBに含まれているとする。
ここで、「Aではない」と言えば、Bということになる。
ここで、発言者は、AをBの中に含めて考えているのに、聞き手がAとBを区別していると議論が、かみ合わない。
Aでないとは限らない(くせもの二重否定)
やっかいな二重否定について考えてみよう。
Cの空間が無い場合で、「Aでないとは限らない」とは、どういう意味か?
上記の図では、AかBということだ。
Cの空間がある場合で、「Aでないとは限らない」とは、AかBかC。
二重否定は、上記の論理的な構造を無視して、要は、「あなたはAではないと言うけども、Aの可能性もあると」とやんわり強調したい時に使う。または抜けや漏れがある時に使う。
しかし、論理的な議論が本質的な問題の解決になるとは限らない。
意味不明な二重否定
下記の図で「Aでないとは限らない」とは、AかBのことだ。
そのうち、発言者がAにはBも含まれていることを知らずにAを強調している時は、強調になっていない。なぜなら、AはBに含まれているからだ。
二重否定は、例外を強調したい時や、漏れや抜けがある時の突っ込みとして使われやすい。しかし、それでは議論が前に進まない。
そもそも、緻密な論理計算で議論できる人は限りなくすくない。屁理屈を述べて、本題や発言者の真意を軽視する論者が多いが、気を付けたいところだ。
ではズバッと言えばよいのか?
二重否定は回りくどいので、肯定文で言えと言われる。たしかに、ストレートはわかりやすい。しかし、そう断定できるケースの方が少ないことが世の中には多い。だから、あいまいな表現にならざるを得ない。二重否定を使いたい発言者の心理もあるのだ。
責任を回避する立場にいる人の得意技の一つでもある。
二重否定は、強調表現でもあり、議論を煙に巻く必殺技でもある。我々の議論はそもそもわかりにくい。揚げ足を取る議論ではなく、建設的な議論にするために本題から逸れたら、常に、真意に立ち戻ると良い。
何が本当は大事か?何が我々の目的なのか?そのためにはどう考えるのが良いのか?
屁理屈を並べた議論を減らすだけでも、日本の生産性向上に貢献できるだろう。
ミルキヅク