前世の行いが今世に影響するという考え方がある。
しかし、前世の行いは記憶にないので、今世に表れる直接的な因果関係の説明は難しい。
肉体も変わってしまっているので、わかりにくい。
因果応報が確実に働く世界
しかし、時間を縮めて考えれば、この世は因果応報で溢れている。
例えば、自然界では、種を植えれば、花が咲く。
目の前の人をビンタすれば、すぐにビンタが返ってくる。
来世でビンタは返ってくることは少ない。
犬がおいしそうにご飯を食べている時に手を出すと噛まれる。
このように、自分のした行為に対する結果がすぐに見える因果応報はわかりやすい。
「こんなにも頑張ったのに、結果がでないじゃないか!」と因果応報が否定されることもあるが、本人が頑張っていると勘違いしていることに対して結果が出ないのも、当然の因果応報の結果なのだ。
本人はそのことに気が付いていない。
厳格な因果応報
ところで、首を切る残虐な事件がある。
首を切って人を殺めた因果応報があるなら、来世で首を切られることになる。
ある人が100人の首を切った。因果応報があるならば、この人は100回生まれ変わって100回とも首をきった100人から首を切られる人生を歩むことになる。それが厳格な因果応報だ。
しかし、なぜ首を切ることになったのかの根本的な原因は難しい。
人類の因果応報は連帯責任で
自分を視点に、先祖を遡ると、数学的には、2の2乗が続く。
自分
お父さん、お母さん
お父さんのおじいさん、おばあさん
お母さんのおじいさん、おばあさん
それは、ある時から、とてつもなく
大きな数字になる。
一方で、始まりは、「アダムとイブ」と仮説するならば、2人に集約される。
その2人が猿から進化したのか宇宙から来たのかは議論があるところだが……。
さて、人類がアダムとイブからはじまる子孫と、我々の先祖を2の2乗で遡る先祖は同じだが、そうであるなら、人類の因果応報は人類に振りかかることになる。
つまり、人類皆兄弟ならば、連帯責任ということだ。
因果応報を突き詰めると、「なぜ、ビックバンが起きたのか?」という議論にもなる。
ミルキヅク