ブログが「炎上」したり、
「叩かれる」ことが、
日常茶飯事になっている。
なぜ、そんな写真アップするの
なぜ、そんなこと書くの
というモノは、多々ある。
ところで、
ソーシャルブログの「批判」や「炎上」に、
新しい用途がでてきたように感じている。
それは、
意図的に、「批判」「炎上」を生じさせて、
「世の中の一般感覚や、善意、または、真意をあぶり出すこと」だ。
少し前は、
炎上すると、「その人は終わった」という風潮が
あったが、
上記のような「炎上」の新しい使い方が
世間で一般化すると、
炎上自体は、たいした問題ではなくなると推測している。
いわんや、対面式の会話でも、
誤解が多い現代。
ソーシャルブログの文字だけでは、
誤解が生じて当たり前と考えるほうが自然だ。
受け取る人それぞれの、状況、経験、知識で、
見解は異なるし、ニュアンスは文字からは伝わらない。
法に反してはいけないが、
あまりにも、「批判」や「炎上」を恐れる
必要はないのかとも思う。
「批判」や「炎上」は、
現代の新しいコミュニケーション方法を
作ろうとしている。
ミルキヅク