相殺0円社会では、GDPは増えないのではないか?
経済の指標を、GDPで表す。
GDPとは、付加価値の事で、
ざっくり言えば、会社でいうところの粗利益だ。
例えば、
世の中に二人しかいないとする。
Aさんと、
Bさんだ。
AはBのために、100万円の付加価値を提供する。
BはAのために、100万円の付加価値でお返しする。
この場合、
GDPは200万になるのか、
0円になるのか。
ミルキヅクは、0円と捉える。
現在日本のGDPは500兆円前後で平行線をたどっているが、
むしろ、GDPが0円に近づきながらも、
国民全員が安心した暮らしができているならば、
問題ないのではないか。
つまり、
各自の理念を見つけ、その理念のもとに、
自分がもっとも得意とするところで、
世の中に付加価値を提供する。
その提供したモノがお互いに相殺し合えば、
結局GDP0円社会が実現する。
GDPが増える意味は、
付加価値をつける人と、その価値と相殺できない
人のギャップのことではないのか?
つまり、
AはBのために100%の付加価値を提供しているが、
BはAのニーズをBが提供する付加価値で満たしていないということだ。
格差とは、
そういうことから生じるのだろうか……
そうならば、この格差は、今後も縮まらないだろう。
できるだけGDPが0円に近くても、
大多数の国民が平和に暮らせる国造りが
大切だと思う。
ミルキヅク