「キリスト教」も、「イスラム教」も、「仏教」も、「ヒンズー教」も、その他の宗教も存在していなかった、どんな世の中になっていたのだろう。
もっと平和であっただろうか。
企業では、社長が総責任者だ。
会社を興し、そこから発生する問題の総責任を最終的には取らなければいけない。
とても、シビアだ。
各宗教も、それを興した人を社長というならば、その組織集団から起きた問題の総責任を取らなければいけない。
宗教の基本は、自分の信じる物が侵されないことであり、一方で、それを人に押し付けないことであり、相手の信じる物を尊重することである。
強すぎる「信念」や「こだわり」が衝突を生んでは、本末転倒だ。
宗教は本来高尚なものだが、その名を借りた戦いもある。
戦いに勝って、自分たちが信じていることの正当性を主張しても、平和な世界は訪れない。
なぜなら、「僕らはみんな生きている」という、深遠な原理原則が看過されているからだ。
社長の教えも、ある種、宗教と言える。経営理念などは、社長の強いこだわりと信念だ。それを従業員に押し付ける行為も、紙一重なのかもしれない。
無神教という、信念もある。
宗教に限ったことではないかもしれないが、強すぎる個の主張は、いずれにせよ、衝突を生む。
ミルキヅク