仕事が無いからと、海外マーケットを目指す社長がいる。
一方で、ドイツでは、支出0プロジェクトと題して、昔のような等価交換社会を楽しんでいる。
200人が役割分担を果たせば、実現するらしい。
これは、お金がなくても人が生きていることの実証だ。
200人が集落を構成すると、日本では60万の集落ができるだろうか。
それぞれで、生活が成り立っている。
他部落への移動などを考えると、部落通しで道路の打ち合わせの必要がある。
そこで代表者を選出する。
そして、議会になる。
そうやって、国ができたのだろう。
そうすると、国は、本来部落だけでできることには手を出さない方がよい。
部落同士の付加価値が高まる国家構想を描ける人が代表になるとよい。
インターネットによって、物理的な制約が減る。
しかし、集落だけで満足してしまえば、国も必要ないことになる。
国とは、「もっと遠くへ、もっと異世界へ」そう願う人々の思いが集積した形なのかもしれない。
ミルキヅク