社会は「競争」だと言う。一方で、共存共栄だという社長も多い。
「競争」が必要かどうかの議論よりも、競争の本質を考えてみたい。
「競争」の本質論を無視して、かわいそうだからと目を背けてはいけない。
競争の本質論
さて、「競争」について説明したい。
AとBという会社があったとする。同じジャンルの製品を販売している。
Aはお客様を見て商売をしている。
一方、Bは、Aを見て、Aに負けないような商品サービスを開発して販売している。
AはBを意識してない。競争相手だとも思っていない。「顧客に選ばれる」という視点で常に製品を磨いている。
Bは、「Aに負けない」という視点で競争をしている。
Aが競争している対象物は、自分だ。どれだけ人に役に立つことができるか、だ。
一方BはAを見て競争をしている。Aに勝つためにどんな製品サービスを作るか。
まったく、顧客を無視している。
永続しやすいのは、Aだ。
自然の摂理に競争などない
人間社会では、競争があるのが当たり前と思っている。しかし、自然の摂理に競争は一つもない。
動物は必要最低限のモノしか消費しない。弱肉強食というより、他が生きるために、自らを犠牲にしていると言ってよい。
食物連鎖は、弱肉強食の話しではなく、命を他の譲り生命を繋げる行為だ。それは、まさしく、人が「世のために人のために」と尽くす行為と同じだ。
この世は役割分担の果し合い
人間だけが競争している。
たしかに、「競争」により技術を進化させてきたようにも見える。しかし、世の中の本質は役割分担の果し合い。競争したのは、競合企業や競争相手ではなく、自分。
己の使命を見つける競争であり、世のために人のために尽くす貢献だ。
自然の摂理に競争などない。自分の役割を見つけられないモノが競争から負けるか、無用な競争を招く。
競争相手は、常に自分だ。自分の役割分担探しに、ぜひ理念実現書を活用されたい。
「勝った、勝った」と騒いでいる者、勝つことを目的としている者は、自然の摂理から淘汰されるだろう。何のための「勝ち」なのか?誰のための「勝ち」なのか、改めて見つめ直すと、競争の真の意味を理解してくるだろう。
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この世に勝ち負けなどない
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