ある人が、どれだけ良い製品を作っても消費者に購買力が無ければモノは買えない。
さて、世の中がAとBと、そして、通貨発行権のある1つの銀行Cだけと仮定する。
AがBに合計で110の付加価値を提供する製品サービスを各種販売。
BがAに合計で100の付加価値を提供する製品サービスを各種販売。
Bは、Aが提供するある110の価値の製品が欲しかったので、Cから10借りて購入した。
Bは、自分の欲を満たすために、銀行から10借りた。
翌年、BはAに同じように100しか付加価値を提供できなかった。
Bは、Cに10の借金があるので、Cに10返した。 手元には90しかない。
AはBに翌年も110の付加価値を提供できるが、Bは、90しか購買力がない。
ここでの問題だったのは、Bの購買目的が私欲だったことだ。
自分の欲を満たすためにモノを購入すると、Bの付加価値提供力が減り、結果、購買力が減り、経済が縮小するのだ。
理想を言えば、BがCから10の借金をしてでもAの付加価値提供物を買う正当な根拠は、
Aが欲しいモノかつそれによって、Aの付加価値提供力が以前より高まるものである。
たとえば、BがAに、「この100の価値のモノ買う?」と購入を促した時、Aが、「イイわねー、これによって、翌年は、私があなたに、もっとよいモノが提供できるから」という動機なら、借りたお金で買う購買も生きてくる。
付加価値提供力がお互いに高まれば、お互いの購買力が増えていく。
片や、購買動機が自分の欲を満たすためなら、徐々にAとBの購買力の差が開き始める。
これを世間では、格差と呼んでいる。
理想的な購買について物語で表現してみた。参考にしてほしい。
世の中は役割分担の果し合い
自分で稼いだお金だから、モノやサービスの購入ぐらい好き勝手にさせてくれと思うかもしれないが、その製品サービスが生み出される背景には多くの人の努力と汗があることを忘れてはいけない。
この世は役割分担の果し合いだ。
モノを購入する動機が「世のため人のため」から発生していると、経済は正のスパイラルで上昇していく。
相手に提供される価値以上のものを世に還元するために購入する。
そんな購買哲学を一人でも多くの人が持てば、豊かな資本主義になるだろう。
余談だが、Cは、貨幣発行権のある機関のことを指している。
Cは、誰かが創出した付加価値を見える形にしてあげるだけで、お金が増える。
これが、通貨発行権のある強さで、人類最大の発明と言われるお金の仕組みだ。
凄い仕組みだ。
通貨発行権がある機関最強説
しかし、一方で、お金のいらない社会の実現に向けて「支出ゼロプロジェクト」がドイツで動いている。
若者は、すでに、現代の資本主義の仕組みがおかしいことに気づいている。
本来の資本主義のあるべき姿は
ミルキヅク