社会は厳しい!の原因は無計画と無関心と無配慮

 

「社会は厳しいぞ」と言われる。

 

たしかに、容赦ないことが多い。

  

理不尽な要求を突き付ける得意先。むちゃぶる上司。人の事なんて知らない。と、まったく協力しない人など、いろいろだ。

 

 

少し打ち合わせすれば、スムーズに運ぶものが、「まあ、いいか」という無配慮で、多くの人が振り回される。

 

「もっと、早く言えよ!」という心の叫びが今日も世界中で聞こえてくる。

 

「社会は厳しいぞ」と説教する人は、その厳しさの元凶であったりする。

 

気遣いの無さや、適当さが、いちいち社会を厳しくしている面もある。

 

 

一人の気遣いの無さが大混乱を招くことがある。

 

そして、周りは、それを鎮めるために、睡眠時間を削り、必死で対応する。

 

食事する時間も得られず、ストレスが蓄積する。そして、いつか爆発する。

 

少しだけ注意してコミニュケーションしていれば、社会の厳しさは軽減される。 

 

 

極論だが、無差別殺人も、ある意味、まあいいかという社会に蔓延した無配慮が原因なのかもしれない。 

 

 

 

軽率な言葉や行為で自爆する

一方、自分の軽率な発言で自爆することもある。

 

自分ができるか、できないか、わからないのに、できます!と無責任に答え土壺にハマることがある。

 

本当は知らないのに、何となく流れに飲まれて「知ってます!」と答え大問題に繋がることもある。

 

 

軽率な行為で自爆することもある。

 

たとえば、見積金額をよく確認せず提出し、後から飛んでもない値段で受注が確定してしまうこともある。

 

お互いに良く確認すれば済むのに無関心な場合が多い。

 

たちが悪い場合は、間違えを教えないこともある。それが社会だと言えばそれまでだが、プロフェッショナルではない。

 

もちろん、見積をミスした本人が悪いのだが、本人の軽率さと、相手の無関心が、社会の厳しさを生んでいる。

 

 

 

売り手・買い手のマナー

我々はお客に迷惑をかけてはいけないという脅迫観念に囚われすぎている。

 

だから、多くの人が、腰を低く、ある種、びくびくしながら、顧客に接している。

 

全ての労働者が売り手であり、買い手でもある

 

売り手としての責任、買い手としてのマナーがあるにもかからず、一社会人としての「責任」を果たさず、買い手としてのマナーも無い人が多い。

 

例えば、売り手として努力しない者が不相応なクレームを発したり、多くの給与を要求したりする。

 

人間を取り巻く自然環境は容赦なく厳しいが、社会は気遣いで厳しいが大幅に軽減する。ちょっとした気遣いだ。

 

しかし、それができないのだ。

  

人間は、「わがまま」で「無配慮」だということだ。

 

ほんの少しだけ、自分に慎重に、また、関係者に気配りできたなら……。

 

むしろ、社会は、居心地の良い空間になるに違いない。

 

自分に少しの厳しさを持てば、社会は厳しくない。

 

 

 

 

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