結果と過程、どっちが大事?トップを目指す人が陥る盲点

【最終更新日2017年8月3日】

 

結果がすべてか、過程も大事かという議論は昔から続いている。

 

結論から言えば、次の2点だ。

 

1.『結果』という概念は多種多様である。

2.過程を大事にすれば結果がでるのは時間の問題である。

 

 

ライザップとダイエット

たとえば、ライザップは”結果にコミットする”というキャッチで人気がある。結果はスリムストロングな肉体を短期間に手に入れること。そして、その結果を出すための過程が濃密だ。食事コントロール、エクササイズと緻密に構築されている。

 

さて、この場合、結果と過程、どちらが大事だろうか?一般人にはかなり高額な料金を払っている。結果が重視されるだろう。”結果にコミット”するビジネスなので、人も驚く肉体を手に入れるために結果にこだわる。

 

 

営業マンと売り上げ

営業マンは結果が重視される。どれだけ過程が良くても、売上や粗利益を獲得しなければ必要とされない。

 

営業マンは、狩りで生計を立てる部族に例えるとわかりやすい。売上とは、獲物を持ち帰ることだ。お腹を空かした家族に、「今日は獲物が取れなかった…」では済まされない。生存がかかっている。極端に言えば命がかかっている。

 

獲物を捕ることが結果で、過程は獲物を捕るための準備だ。どれだけ準備しても、獲物が取れなければ餓死する。 餓死するなら、過程が大事だなどと悠長なことは言ってられない。結果が重視される。

 

 

プロ野球と勝利

プロ野球選手は、当然勝利することは大事であるが、顧客はスポーツマンシップやエンターテイメント性に感動する。

 

プロ野球においては、結果の概念を定める必要がある。

 

結果の意味が勝つことなのか、集客なのかによっても変わる。たとえば、負け続けても集客が上手な球団がある。それによって、資金を獲得し企業広告を得てうまく運用している球団もある。

 

その球団にとっての目的(結果)は、勝つことではなく集客だ。集客が少なければ運営できないし、スポンサーも儲からない。集客という結果を得るために、緻密に計画して実行している(過程)

 

プロ野球において、勝ち負けも大切だが、お客はエンターテインメントを求めている。お客様を笑わせるという意味ではなく、プロとしての野球のスキルや感動といったものである。 

 

 

受験生の合否

受験こそ、結果が全てだと思われがちだ。長い受験生活の総括が受験でもある。大事な青春時代のすべてを大学合格のために注いでいる学生もいる。

 

しかし、受験は過程が大事だ。受験に失敗は残念だが、人生にとっては大した問題ではない。当然、受験生は視野が狭くなっているのでそう感じない。

 

勉強は受験勉強で終わりでない。むしろ、社会にでてからの方が大事な勉強は続くのだ。必要であれば、学生時代に勉強したことやしなかったことを復習して学ばなければいけない。

 

勉強は一生続くものだ。

 

受験の合否が人生を決めるわけではない。人生を決めるモノは、理念だ。そして、幸せの追求と、受験の合否に相関関係はほぼない。それなのに、多くが受験生が、合格=幸せだと思っている。

 

合格しても不幸な大学生活がはじまる場合も多々あるし、社会にでてからトップクラスの大学を卒業しても自殺する人もいる。受験性は特に勉強の過程を大事にしてほしい。

 

 

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オリンピック選手の結果と過程

オリンピックも結果がすべてだと思われがちだ。たしかに、金メダルを取ると人生が変わる。金メダルを取ると一生安泰になる国もある。

 

オリンピック選手は国家を代表するので結果責任が重たい。一方で、オリンピックは、イベントである。観客は応援する選手が1位になることを期待する一方で、参加選手の必死な姿に感動する。

 

各選手の日々の頑張っている姿(過程)をもっと放映すると、本選をより楽しく見られる。

 

 

 

結果を勘違いしていませんか?

結果にこだわり過ぎる人がいる。周りの人を軽視して、ひたすら上を目指す人がいる。そういう人は、往々にして、「結果」を1位になることだと設定している。

 

「結果」は、1位だけがすべてではないのだ。人には様々な目的があり、目的に従った結果があることを忘れてはいけない。

 

   

Aさん(結果にこだわる派)とB(過程を大事にする派)さんの物語

ここに、ある物語がある。AさんとBさんは、とある山の頂上を目指している。頂上までは険しい道のりだ。道中、いろいろな人がいた。山の植物や花を楽しんでいる人、忘れ物をして困っている人、道に迷っている人、体力がなくて立ち止まっている人。

 

Aはそういった人をわき目も振らず、頂上を目指した。

 

一方、Bは道中の一人一人に声をかけながら、困っている人は助け、楽しんでいる人とは、時間を共有して会話を楽しんだ。連絡先も交換した。

 

結局、Bは頂上に行くことができなかったが、下山後、Bの家には、山で知り合った人たちがよく遊びに来る。特にBにお世話になった人は、Bのためなら、なんでも協力すると言ってくれている。

  

一方、Aは、誰よりも先に頂上にたどり着いた。そこには、誰も見たことがないような壮大な風景が広がっている。あまりにも美しい情景なので、誰かとシャアしたいのだが、そこには誰もいない。Aが景色を満喫して余韻に浸っていると、山の環境が急変してきた。瞬時に霧がかかり、前方が全く見えなくなった。気温も下がり始めた。緊急用の食事も準備していない。急いで下山しなければいけない。

 

しかし、前が見えないため、身動きが取れない。次の日、Aは、山頂付近で、遺体で発見された。

 

 

 

結果と過程、どちらが大事か?

「結果」が大事か、「過程」が大事か。あらためてどう思っただろうか?

 

Aは頂上を目指すことを「結果」とした。Bは頂上を目指す「過程」の中で、人に尽くすことやその瞬間を楽しむことを「目的」とした。「結果」という概念は相対的だ。人によって違う。

 

そして、結果を出すために過程を大切にしなければいけないことも万国共通だ。結果を出したほとんどすべての人が過程を大切にしている

 

過程を大事するとは、強固な地盤を作る事であり、結果に結びつきやすい環境が整う。いつ結果が出るかわからないが、いつでてもおかしくない状態が常に準備される。一方、結果だけを目的とすると、結果がでなかった時には、何も残らない。むなしい人生となるだけだ。

 

 

都会に蔓延する木枯らし 

都会では、競争が激しい。ひたすらAのように、頂上を目指す人が多い。そして、いつしか盲目になる。 「結果」にこだわる人は、いわば山頂に留まり続ける人だ。

 

先のAとBの事例で、Aが「結果を山頂に登ること」と設定したこと自体は構わない。

 

しかし、山頂に留まる、言い換えれば、トップを維持し続けるには、いかにたくさんの人が、山のふもとから、その者のために物資や人手を届けてくれるかという視点を忘れてはいけない。

 

一体、何が自分にとって一番大事な価値なのか、よく考えてほしい。結果を得た先に、明るい未来が待っているという妄想に早く気づくべきだろう。

 

 

 

愛情たっぷりな人になる

特に都会の人間関係は希薄だ。冷たい。ぬくもりを求めている人は多いはずなのに、横柄な態度で人に接したり、人の存在を無視した情景が多々見受けられる。若い時に、深夜のバイトをした経験があるが、どれだけ、目を見て声をかけてもらえる人の存在が温かかったか。特に、都会で働いていると、人のぬくもりがよく伝わる。

 

トップを目指すものは、結果にコミットしすぎて大事なことを忘れないよう注意されたい。そのためには、すべての人が尊い存在であると実感すると共に、困っている人には無条件に手を差し伸べる温かさを常にもってほしい。

 

人間味あふれ、人にやさしく、愛情たっぷりな人が、「結果」としてトップになっていくのが世の常だ。

 

理念実現書は、あなたの大事な価値観を確認するツールである。ぜひ活用してほしい。

 

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