自意識過剰(我の強さ)と死の恐怖には相関関係がある

人間は、「我」が強い、と改めて思った。

 

「我」が強いからこそ、この個体の消滅を恐れるのだろう。

 

多くの人が、死を恐れている。

 

 

細胞は毎秒、生死を繰り返す

しかし、考えてみほしい。

 

人間の体の中には何十兆個もの細胞があるが、「人間」という概念の中で、毎秒、何十万という細胞が、死んでは生まれている。

 

同じように考えると、「人間」という個体は、どんな上位概念の一部なのかは不明だが、人の生死を上位の概念で捉えれば、一人の生死は大した問題ではないとも言える。

 

 

 

我々は、いずれにせよ自己中心的

「我」が強すぎるということは、自己中心的だということだ。

 

自分ではそう信じていなくても、我々は、自分が宇宙の中心だと思って物事を考えたり、行動している傾向にある。

 

それは仕方がない。

 

なぜなら、喜怒哀楽の感覚や、痛みや、暑さ、寒さ、空腹などの感覚が「自分」という個体に直接感じられるからだ。

 

そういった、体から感じられる各種のセンサーを制御しなければいけない。

 

だから、周りのことよりも、自分の事に目がいってしまう。

 

 

 

生まれる恐怖はないの?

生きていれば、確かに死ぬことは怖いかもしれない。

 

反対に、死んでいる人からすれば、生まれる恐怖はないのだろか?

 

一説では、魂を磨くために、人間界に落とされるとも言われている。

 

そうならば、むしろ、生まれてくる方が怖いとも言える。

 

死んだら、生まれる前の感覚に戻ると推測しているが、そこには、恐怖も、時間の感覚もない。

 

まさしく、死んた時の空間が、「人間」を「細胞」と見なして考えられる上位概念かもしれない。人はそれを、「神」や「仏」という。

 

ところで、宇宙も同じように生死を繰り返す。

 

一つの宇宙も、何かの上位概念の一部であることが推測される。

 

 

 

不死は不自然

一歩引いて全体像を捉えると、生や死という概念がないことがわかる。

 

だから、人が「死ななくなる時代」の到来は不自然でもある。 

 

今、死ぬ恐怖を感じている人にとって、永遠に生き続ける恐怖は、もっとインパクトがあるだろう。

 

ちゃんとした死生観を持たなければ、生と死も理解できない間(はざま)で、苦悩することが容易に想像できる。

 

ちなみに、人前で緊張する人と、死の恐怖の度合いは相関関係があるに違いない。

 

自我意識が強いほど、死を恐れると推測している。

 

 

 

この世は愛しかない?

玉置浩二の「君がいないから」の楽曲の歌詞で

 

愛だけしかない、それしかないのに

 

という部分がある。この一節を聞くと、人生は短い、難しいことは考えず、愛で生きようと改めて思ったりする。

 

ところで、少し、現実味を帯びてきた雰囲気だが、人間が所属する上位概念は、ひょっとするとAI(アーティフィッシャルインテリジェンス)だと主張する意見もチラホラ聞くようになってきた。

 

いずれにせよ、人間は「我」が強い。

 

 

 

Electric Neuron

 by  Ronny R on Flickr

 

 

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