見えているものには、「裏」がある
下ネタを言って笑わせるおやじたち。
実は、肉体的にはエロくない。だから、言葉で遊んでいるのだろう。下ネタは、男としての機能低下を隠すためのカモフラージュ言葉だ。
一方、「俺様は、まじめで清潔だ」感を出している若者は、性欲旺盛だ。今にも爆発しそうな性欲がバレないように、平静を装っている。
「お前のことなんて、好きじゃない」といいながら、実は、大好きなんてことはよくある。好き過ぎる気持ちを見破られるのが恥ずかしいのだ。
反対に、「愛している」という言葉が、実は、冷めてしまったハートを隠す表現になっていることもある。普段、愛をささやき合う夫婦は、実は、仮面夫婦なのかもしれない。
「大丈夫、大丈夫」 といつも笑顔で従業員を安心させようとしている経営者や社長。本当は、心が締め付けられるほど、苦しい経営状況なのかもしれない。
誇張した広告には「裏」がある
化粧品や健康器具などでも、効果を誇張して伝えるほどうさん臭く見えてくる。
自分たちにとって都合の良いデータだけを誇張して表現する手法は蔓延している。
データの中でも、つじつま合わせに都合のよい一部分だけを抜き取って、修正(時には改ざん)することもメディアにはよくあることだ。
ショッピングチャンネルで衝動買いした商品を使ってみると、映像で見たのとは違う場合がほとんどだ。
「絶対儲かります」の営業トークの裏には、本人が絶対儲けなければいけない理由がある。
「高級なスーツ」は、そういった営業マンのダークな欲をカモフラージュする小道具に使われることもある。体裁を装わなければいけない隠れた理由があるのだ。
語らない事が、語っていること
以前、「戦争の起こりやすさ」を予想するために、グーグルトレンドを使って、「愛」と「戦争」で予想するやり方を考えたことがある。
それは、戦争気運が高まると、それを隠すために愛というカモフラージュ言葉が増えるという仮説である。
下記ブログの現在(2016年10月6日)のグーグルトレンドグラフから判断するに、2011年ぐらいから戦争の機運が平衡状態であると仮説している。
「見せかけ」や「ほら吹き」が大事な時もある
「見せかけ」や「ほら吹き」が世のため人のためならば、それらは「ウソも方便」の一種として正当なのかもしれない。
今は、現実化していなくても、理念や理想を持った「ほら吹き」が現実となっていくことは良くあることだ。
多くの人は真面目で、そういった人たちは、人が発する言葉を真に受けたり、その背後にある心理に盲目である場合がほとんどだ。心理を見抜く眼力を持っていない。
そもそも、相手が何を考えているかは、「言葉」や「見た目」ではわからない。
心理学者は、そういった「隠れた意図」を見つけ出すエキスパートかもしれない。
田中角栄は、人の裏に潜む本音を繊細に理解し、政策によって理想を実現していった。
うさん臭い情報が蔓延する現在、我々は、「真実はどこへ……」と迷う子羊たちだ。
人が何を言おうとも、あなたが何を言おうとも、「本当に困っている人に対して差し伸べた手」という事実と行動だけが、限りなく真実に近いと言えるだろうか。
by debra on Flickr
ミルキヅク