ソフトバンクの、新30年ビジョンが、テレパシーでのコミュニケーションを想定していた。
そんな時代の到来をリアルに捉え、ARMの買収をはじめ着々と準備をしている。
我々は「言語」でコミュニケ―ションをとっているが、誤解が多い。
誤解による衝突や争いも多い。
そうであるなら、物事を正確に伝えられるテレパシーによる意思伝達の方が理想であり、自然なのかもしれない。
しかし、一方で、「りんご」という言葉ひとつとっても、各人によってイメージは異なる。脳から発生する波形も個々で違うと推測できる。
テレパシーが成立するには、全世界が1つの言葉に対して、共通の認識をもっていないと成り立たないようにも思える。言葉と生活・文化と密接に関わっているので、共通の認識は持てないようにも思える。
たしかにテレパシーは難しい技術にも思えるが、技術は日進月歩。
いずれ実現するだろう。
テレパシーでヒラメキは即時共有
さて、将来人間同士の脳がテレパシーで繋がるとすると、ある人のヒラメキは瞬時に他人に共有されることになる。(他人がブロックしていなければ)
インターネットという仕組みが「全人類の脳」と表現されるならば、いずれ、生身の人間の脳までもテレパシー技術で繋がる可能性はかなり高い。
そうなった時、「自分」と「他人」との区別は限りなく薄くなりそうだ。
「あなた」と「わたし」との間の「伝達」という行為を省略して、各人の頭にひらめいたことが即時に共有される仕組みになっていれば、もはや「個」は人類全体意識を感じながら生きることになるのではないか?
人が死ぬと「母なる大地」(魂が帰るところ)に帰ると言われる説もあるが、その魂が戻っていく「全体意識」の場が、現実に知覚しながら生きる時代が到来しそうだ。
いわば、生と死の境がなくなった状態だ。
人権という概念が発生し、それに基づき「権利」の概念が確立しているが、これは、「個」の存在を前提としている。
「個」を主張しすぎるから、争いが絶えないのだろうか。
そうであれば、全体意識で繋がった時には争いは無くなっているだろうか。
人はうそをつく必要が無くなる。ウソが無意味になる。
「個」という概念が消滅して、全体意識に組み込まれると、人は「ウソ」をつく必要が無くなる。
すでに、2016年10月時点の現代ですらウソが付きにくい世の中になっている。
各個人がメディア発信できる時代になった。
個人から万遍なく課金できれば、スポンサー会社を気遣うことなく表現や報道の自由度が高まる。(ニューズピックスなどがこれに近いだろうか。)
ウソ発見器がウェラブルに導入される?
また、アップルワッチ(apple watch)をはじ各種ウェアラブル技術がセンサー技術を利用し、人体をリアルタイムに把握しているが、そのうち、ウソ発見器が強制的に組み込まれると、全世界のウソの見える化が実現する。
コンピューターと人間の融合は避けられないと推測しているので、間違いなくウソがつけない時代になる。
ウソがつけない時代。それがそもそも全体意識の真の姿であるとも推測できる。
確かに、ウソをつく犬や猫、植物などはいない。
ウソがつけない時代、どのような生き方が理想か
田中角栄は、「本当に困っている人の数をできるだけ減らす」という理念のもと、政治活動を行っていたと言われている。
とても共感できる。
世界の上層レベルで行われているAI(人工知能)やIOT(すべてがネットに繋がる)に関するビジネスの話しは、「快適な生活」の場面でのビジネス的なポジション取りの話しにも思える。
もちろん、その技術革新の原点には「人々の幸せのため」という理念があってほしいと思うが、どうもビジネスチックに見えてならない。
世の中には最低限の生活すらできない人が大勢いる。
「本当に困っている人の数をできるだけ減らす」ために、一人一人にできることはたくさんある。
「全体意識」とは現状知覚できない感覚だが、自然の摂理に従って生きることは、その感覚の一つなのかもしれない。
この世は共存が原則
この世の本質は、競争社会ではなく共存共栄と推測している。
人を信じることができなかったり、自らの欲をコントロールできる人が少ないために、否応なく競争社会に見えてしまうが、盛者必衰という言葉があり、歴史上も事実としてそうなっていることを考えると、世の中の本質は、勝ち負けの概念では成立していないことがわかる。
人が努力する根本的な動機は「世のため人のため」が自然の摂理だと推測している。
人のために尽くす行為に、もはや「個」は存在しない。
こういった考え方と、テレパシー技術などがうまく融合していくことを願いたい。
ミルキヅク