アマゾンでモノを購入すると、自分に特化した『おすすめの商品』が提案される。
アップルミュージックでも、好きなアーティストを入力すると類似のものが提案される。
LINEなどのSNSによって、近い趣味を持った人同士がコミュニケーションしやすくなった。
工業会、勉強会、研究会なども同質の集まりである。知識を高めあったり、同じ趣味で楽しさを深堀する。
相手の考えていることがわからない
大人は若者の考えていることがわからないという。若者は独自視点で新しい文化を築き上げていく。
次のような考えがある。
同じもの同士が集まったら強くならない。もっと資質なモノとぶつかり合って、化学反応を起こせと。
異業種交流会はそういった狙いがある。しかし、大概は失敗に終わる。
メディアは分散し、共通言語が減っていく。話題が合わないことはよくある。
その良し悪しを議論しても仕方がない。むしろ、当然の流れだと思っている。
この世は役割分担の果し合い
世の中は役割分担の果し合いだ。本来は、素人ではまったく分からないほど、技術を深めていくことが重要だ。
たとえば、ある職人が1つの技術を究めた。見物客は、そのモノができる過程を見ることができるが、どうやって作っているか、まったくわからない。そういった技術はすばらしい。
言っていることがわからないから、完全に任せるしかない。中途半端な知識だけがあると、かえって突っ込まれる。そして、判断ミスをして、失敗する。
たとえば、医療だ。本来は、医者が徹底的に技術、知識を学んで信じられる存在であれば、情報元の不確かなエセ情報よりも、その医者を信じるのが通常だ。
お互いのことがわからないと、ぼったくりが発生するかもしれない。しかし、経済や社会には需要と供給がある。アダムスミスの「神の見えざる手」の機能が働き、結局、バランスが保たれる。最後は、ぼったくりが成立しなくなり、結局、ぼったくっても仕方ないことに気づく。共存共栄が一番効率が良いことに気づくだろう。
同質であるから衝突が起きやすい
異質なものは衝突するかといえば、そんなことない。むしろ、同質のもの同士が争い合う。資源やニーズが有限だから、奪い合いになる。
たとえば、漁師とプログラマーは、まず、衝突しない。仕事がまったく別だからだ。
しかし、漁師と漁師は、魚の獲得で争うかもしれない。縄張り争いで衝突するかもしれない。限られた資源の取り合いになった時に衝突になる。
衝突にならないためには、他のニーズを探し出せばよい。ビジネス的にはポジショニングとも呼ぶ。
相手は相手、自分は自分でよいし、お互いが、各々の技術を磨き特化させ貢献していくことが大事だ。餅は餅屋に。
異質なものは乳化剤を混ぜる
どうしても、異質なモノを混ぜたければ、油と水を融合させる時に使う乳化剤的な何かがいる。では、乳化してできた生成物が、水と油そのものより価値があればよいが、そうでなければ、無理に融合させる必要はない。
完全に異質同士は喧嘩になりにく。国同士でも同じことが言えるのではないか。
異質だからと言って排除してはいけない。その排除する行為は全体を弱くする。異質なモノの存在を認めつつ、自分たちの世界感を深めることが重要だ。人間の体も経済も同じだ。いろいろな菌が共存して人間が成立している。経済も、様々な人と、考え方で成り立っている。だから全体として強いのだ。
心配はしない。とにかく同質のモノを徹底して学ぶ
アマゾンで提案される「おすすめのモノ」、かつ、「評価の高いもの」は積極的に勉強した方がよい。時間は有限だ。 評価が高いすべてのモノに触れられるほど時間はない。
まずは、自分の扱っているジャンルを徹底して磨き、特化させ、他の人では理解できないほど、どんどん先に行くことが大事だ。
特化させればさせるほど、途中で、仲間がいなくなるかもしれない。最後は自分との戦いになるかもしれない。
しかし、先駆者同士は、たとえジャンルが違えども、わかりあえると思っている。先駆者という同質のモノを追求しているからだ。
ミルキヅク