GDPとは、簡単に言えば、粗利益のこと。
世界のGDPは、7500兆円。(1ドル100円で仮換算 2017年5月)
世界のGDPの成長率は3%程度だ。
7500兆円に3%を掛けると、225兆円。
毎年、225兆円増えることになる。
AとBしかいない世界
ところで、この世に、AとBしかいないと仮定する。
AはBに対して100の付加価値(粗利益)を提供した。
BもAに対して100の付加価値を提供した。
等価交換が成立する。
次に、AはBに対して500の付加価値(粗利益)を提供できる品を作った。一方、Bは相変わらず100の付加価値のモノしか作れなかった。
Aは、どんな優れた商品を作っても、500の粗利益を得られない。Bに購買力がないからだ。
AとBの付加価値創出力の差は、500-100=400だ。
仮に、貨幣が無尽蔵に提供されるならば、400は格差というわけだ。
インフレの本質 格差社会は必然
格差は、こういった付加価値創出力の差がある限り、広がり続ける。それがインフレの本質だと考えている。
そうならば、ある意味、GDPの成長率は、格差の度合いを表す。
日本では、500兆円を600兆円にする目標を掲げているが、言い方を変えれば、「100兆円、格差を広がよう!」と宣言しているようなものだ。
これは善悪の話しではない。資本主義とはそういうものだ。資本主義でなくとも、人が創意工夫を加える以上、世の中はそうなる。経済は基本的に右上がりに成長していく。だから、格差は必然だ。
GDPが3%増えるとは、人間の付加価値創出力が3%増えたということだ。
100できたことが、翌年、103できるようになることだ。
GDP成長率の本質とは?
しかし、世の中がAとBしかいない場合、成長率の本質は、購買力が一番低いモノの成長率だ。
AとBの例で言えば、Bが今年も来年も100の付加価値しか提供できなければ、成長率は0%というわけだ。仮にAが500の付加価値を提供できたとしても、Bにはそれが買えない。
なぜか、資本主義では、それができてしまう。「貨幣発行権」という仕組みだ。
経営者のジレンマと労働者の保護と環境破壊
いかにも資本主義のマヤカシやうさん臭さがある。
社会が資本主義である以上、お金が付加価値交換のツールとして大事なのは確かだ。
多くの労働者が給与をもらって生活している。生活の安定には安定した給与支給が欠かせない。
だから、労働者は強く保護される。
そこで、企業は給与を払うために売上を確保しようと努力する。
時に、企業のある活動が環境を破壊することがわかっていても、そういった多くの労働者の事情を考慮して、規制が進まない場合が多い。政治はいつも遅い。
環境保全のために規制をかけようとすると、「そんなことしたら、会社が潰れる」と脅す。そういった意味でも、資本主義は暴力的だ。
その暴力を少し緩和する方法を提案したい。
資本主義の暴走を抑制する方法
世界のGDPは7500兆円。3%成長で225兆円のお金が増刷される。
この225兆円というお金を、「そんなことをしたら、会社が潰れる」と脅す会社、かつ、現に、本当に潰れて、労働者が路頭に迷ってしまう企業に対する補償金として使うのはどうか?その保障によって、早く環境を守る規制がかけられるかもしれない。規制というより、我々の命を守るものだ。
または、そのお金を環境破壊の原因を撲滅するための技術開発に使用する仕組みが世界レベルであればどうか?
資本主義は元々、うさんくさい代物だ。資本主義の前に人の命がある。その生命にとって大事な環境を守るために、一種、何の権限で無尽蔵に増刷されるかわからない、うさんくさいお金を有効利用しても良いはずだ。
225兆円の全部とは言わない。仮に、その1割の23兆円だけでも地球環境を守る技術革新や活動をするには十分な資金だと言える。
地球上には、きわめてすぐれた知恵と情熱を持った人が埋もれている。23兆円もあれば十分だろう。
そこにある一輪の花や人の真心
最近、ソフトバンクのファンドは約10兆円を集めた。世界のGDPは7500兆円なので、10兆円は大きな数字に見えて、0.1%に過ぎない。
多くのお金を集め、世のため、人のために尽くすことは大事だ。
一方で、世の中の多くの人が付加価値をあまり創出できないB側だ。
うさんくさい資本主義の中で大きなお金が動いているが、足元に咲く一輪の花や、お金とは無縁の人の真心が、そこにある。
それを常に忘れず、「見て、気づく」人でありたい。
ミルキヅク