ミルキヅクのブログ

あなたの中の、何のためにを、スッキリさせる、お手伝い

「言葉」という脆いツール

人間だけが、必要以上の「争い」をしている。

 

人間と他の動物との大きな違いの一つが、「言葉」だ。

 

「言葉」は、もろ刃の剣。相手を傷つけたり、癒したりする。

 

万能のツールでないのに、人は、言葉を頼りにしすぎている。言葉を大切にしすぎている。

 

紛争は、「言葉」から発生していることが多い。言葉を大事にしようが、しまいが、受け手が勝手に解釈する以上、言葉自体の脆さは回避できない。

 

言葉の発信者と受信者の解釈は、生き方や物事の捉え方が「文化的」、「環境的」、「性格的」等によって違うのだから、衝突を生んで当然とも言える。自分が正しくて、相手がおかしいと考える傾向がある。

 

お互い尊重すればよいのだが、それができるなら、そもそも衝突など生じない。

 

おおよそ、我々は「怠惰」で、「顕在的、潜在的コンプレックスの塊」があり、「妬みや嫉妬に溢れ」、「自我」や「生存への執着」で塗りたくられている。好き勝手なことを言い合っている。

 

現代のように、情報発信が楽にできるツールがあると、なおさら、散弾銃のように言葉合戦が繰り広げ多くの心を流血させている。自らも言葉によって心を打ち抜かれ吐血している。地球上は心から流れた血の海で溢れている。

 

ふと、思うのだが、神さまなるものは、わざと人間に誤解が発生しやすい「言葉」という脆いツールを与えて、意図的に衝突させて、技術を磨かせているのかもしれない。

 

戦争になると技術が向上すると言われている。命がかかっていると人は必死になる。

  

「言葉」は、そもそも争いを起こすツールなのだ。

 

争いが嫌だからと、無言を貫くとどうなるか?言葉がなくても、わかり合えるのだろうか?

 

たしかに、「言葉」というツールを持っていない動物では戦争がない。争いはあるが、必要以上に殺し合いはしていないようにも思える。節度を持って、生きるために最低限の犠牲を出し、食物連鎖の中で生存している。

 

ところが、行動だけでも誤解を与える時はあるのではないか?

 

例えば、お互い見ず知らずの2人がいて、相手に与えるために獲物を獲得しようとする高尚な行動があったとする。

 

相手は、逆に、その行為を、自分の獲物を奪いにきたんだと誤解したとする。誤解された方は、それが本意ではないから、引けば衝突は回避できる。

 

しかし、誤解した方は、一生、相手は盗人だと決めつけるだろう。誤解された方は、仮に「言葉」というツールがあったとしては、何を言っても言い訳にしか聞こえないかもしれない。

 

本人の意図には聞く耳を持たず、勝手に相手を定義づけする悪い癖が人にはある。みんな自分が可愛く、自分以外が怖い存在だと感じることも多い。

 

言葉や行動に関わらず、人は誤解をする生き物なのかもしれない。

 

誰の仕業かわからないが、誤解を意図的に発生させて、技術向上させるというパラドックスは耐え難い。いずれにせよ、食物を独占して生存したところで、一人では生きていけないのだ。

 

ところで、食事に頼らないエネルギー確保の手段が確立された生存体には、言葉はいらないのかもしれない。言葉がないから、誤解が発生せず、衝突もないかもしれない。獲物を奪い合う必要もない。仮に、宇宙人がそのような存在であれば、宇宙人同士に争いは無いと推測できる。おそらく、宇宙人は、コミニュケーションにおいて信頼度の低い「言葉」というツールは使っていないと推測できる。

 

現代のように、言葉がお互いを傷つけ合い、誤解し合う世の中は、幸か不幸か、言葉の脆さを露呈し、同時に、技術力を向上させる。

 

人間には、想像力が与えられている。フルに発揮し、言葉を越えて、理解しあえる力があると信じたい。

 

 

f:id:mirukizukublog:20141106155935j:plainミルキヅク 

理念番号 M1


理念実現書を作成するやり方


理念実現書作成セミナー申込

 

Copyright (C) 2014-2018 ミルキヅク All Rights Reserved.