森友問題と北朝鮮問題について考えてみた。
それらの問題解決は、結論から言えば、我々が「命」について真剣に考えることである。すなわち死生観を確立することがこの2つの本質的解決に繋がるだろう。
そして、具体的な行動として、リーダーに未来を委託するのではなく、自分たちができる無条件の善意を尽くし、心の絆を得ることである。
すると、悪魔が誰か見えるだろう。暴利をむさぼり、己の利益のためだけに行動する者が明るみにでるだろう。
その悪魔とは、実は、特定の人のように思えるが、実は「我々の絶えない欲」であり、「生命に対する執着」である。与えられた「命」に真剣に向き合っていない行動の結果だ。
では順番に説明したい。
森友学園問題について
森友学園のような問題を考える時は、シンプルに世の中が2人(AとB)だけだったらと考えてみることだ。
すなわち、森友学園のシンプルな構造は「教育の提供」と「土地の提供」だ。
Aは教育を提供する。
Bは土地を提供する。
Aの教育提供に対する対価がBの土地と捉えてみよう。
その前提として、社会は「役割分担の果し合い」で、「完全な等価交換が成立している」と仮定する。
シンプルに考えると
Aの教育内容は別として、事実上無償で教育を施すとする。その対価がBの土地である。
Bは無償でAに土地を提供する。Bの土地はAの教育提供に対する対価と仮定する。
これがシンプルな構造だ。
ここに、しがらみや、私利私欲が入ってくるから、チャンチャラ劇が登場する。
本質を見えずらくする人工概念
森友学園に限らず、こういった問題の本質は、「国」とか「所有」とか「有料」といった人間が作り出した概念だ。
「国」とは一定区画における人の集合体であり、人間が作り出した人工物だ。
「所有」とは権利のことであり、権利は人間が作り出した人工物だ。
「有料」とはお金のことであり、等価交換の余剰分である。お金も、人間が作り出した人工物だ。ちなみに、等価効果の余剰分は、購買者に購買力が無いと事実上買えないので、有料という概念は本来は無いはずだ。
ただ、資本主義の中では、貨幣発行権という仕組みの中でうまくやりくりしている。
基本はすべて無料
そもそも、完全な等価交換が成立する2人だけの社会ではすべて無料だ。すべて無料だとしたら、そもそもウソをつく必要もない。隠す必要もない。ぼったくる必要もない。値引きする必要もない。
たとえば、AがBに土地を提供する。土地に問題があれば撤去して提供するだけだ。Bは土地を無料で提供してもらった分、無料で子供の教育という役割分担を果たす。ここで、本来土地は無料なので、Aがすべきは土地の提供ではなく、Bが100%子供の教育のために時間を使うならば、Bが生きていくための食糧や衣服や住宅提供の役割分担を担う。
そこに、「国」とか「所有」という概念がでてくるから問題を紛らわしくする。
以上が森友学園の本質である。
そこにいろいろな私利私欲によって、ワイドショーを騒がすネタになっている。
北朝鮮問題について
北朝鮮とアメリカの話しをシンプルに2人だけの世界で考えてみたい。
アメリカは北朝鮮に圧力を加え、北朝鮮は核を開発する。
北朝鮮は自国の防御のために核を作っていると主張していると仮定する。
アメリカは北朝鮮が攻撃するために核を作っていると主張していると仮定する。
ここでの本質的な問題は、「信頼の欠如」と「命(生存)に対する執着」である。言い方を変えれば、命を奪われることの怖れである。
怖れがあるから、強いリーダーを求め、世の中を争いの世界へと導いていく。
国って何?
ここでも、「国」という人工物が悪さをする。北朝鮮とアメリカと捉えるとわかりずらいが、AとBという二人だけの世界ならば、何も、疑心暗鬼になって、お互いに防御したり圧力をかける必要はないのだ。
世の中が2人しかいなければ、協力してやっていくしかないのだ。これが本質である。2人が男と女ならば、なおさらである。子孫が生まれず、そこで人類は終わりだ。
皮肉なことに、自国民を守ろうとするがゆえに、逆に、自らを危機におとしめている。
リーダーは「自国民を守るために」という。それはおおよそ、自分を選挙で勝たせてくれる後援者の利益のことを言っている。
世界が2人しかいなければ、Aにとって、自国民を守るとは、Bのことである。反対も然りである。Bにとっての自国民とはAのことである。
対話が必要
さて、協力してやっていくには、対話が必要だ。まさに、「裸の付き合い」ぐらいが良いだろう。苦楽を共にし、あ・うんの呼吸や、以心伝心ぐらいまでコミニュケーションを深めることが理想だ。
そして、対話には勇気がいる。そこに、生命に対する執着があると、相手を恐れ何もできない。疑心暗鬼を取っ払うには、まっとうな死生観を持っていることが前提となる。
だからこそ、一人一人が命に向き合っていないといけないのだ。スマホニュースばかり読むのではなく、一人で読書し、瞑想し、死について真剣に考えることである。
武士の死生観は全うだった
その点で、「武士道」の武士は、死生観がまっとうであったことが予想できる。死を超越しているからこそ、相手に対しても無条件に尽くすことができた。それにより、相手の警戒感も無くなり、対話が生まれ、相互協力がうまれた。
むしろ、死生観を持った高貴な武士は、尊敬の眼差しで迎えられた。
相互協力や信頼の根底は、死生観である。
弱肉強食ではない
強いモノが生き残るのではない。世の中が2人だけの世界だったら、強いモノも、弱いモノなしでは生きられないことを知っている。だから協力するしかないのだ。
自然界の法則は、無条件の奉仕である。食物連鎖で人間が頂点に立つのは、強いからでも、頭がよいからでもなく、変化に対応できるからでもなく、弱いモノが、命を我々のために譲ってくれているからだ。
ある意味、武士道の精神で生きているのが、人間以外の動物であるという皮肉すら言えるかもしれない。
まとめ
森友問題も北朝鮮問題も本質を理解していないと増々世界中を混乱に導くだろう。ネット社会で情報が一気に世界中に通達できる時代になったからこそ、我々にできることは、情報に踊らされることではなく、強いリーダーを求めることでもなく、すぐ近くにいる1人のために、無条件の善意で尽くすことである。
それによって、無償の連鎖が世界レベルで繋がれ心の絆が生まれるだろう。
そして、他者に対する無条件の献身を行うには、難しいことかもしれないが、命について真剣に考えることだ。自分なりの死生観を持つことだ。
その点、東北大震災に遭った人たちは、より本質的なところを知っているに違いない。
全うな死生観を持つための参考書
奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 (幻冬舎文庫)
- 作者: 石川拓治,NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2011/04/12
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 5回
- この商品を含むブログ (29件) を見る
- 作者: 中村天風,公益財団法人天風会
- 出版社/メーカー: 日本経営合理化協会出版局
- 発売日: 1988/09/01
- メディア: 単行本
- 購入: 11人 クリック: 123回
- この商品を含むブログ (29件) を見る
ミルキヅク