人生の誘惑の一つに運に頼るという行為がある。やるべきことをせず運に頼る人は多い。経営も恋愛も結婚も健康も、すべて自分のことなのに占い師に頼る。まるで、占い師に自分の人生を委託しているようだ。経営判断を占い師がするならば、世の中は占い師が動かしていると言っても過言でない。
自分の人生に絶対的な責任を持つべきだ。占いは慰めや励みになっても、結論まで頼ってはいけない。どちらの結果が来ても、一喜一憂せずやるべきことを力尽きるまで行う。これが、人生の誘惑に打ち勝つ態度だ。
運とは努力以上に恵まれていること?
「運」がイイというのは、自分の努力以上に恵まれていることをいう。しかし、自然界には因果応報が100%働く。仮に、宝くじで6億円当てたとしても、それは運がイイとは言わない。
落ちる運命の飛行機に乗らなかったことを運がいいと言えるだろうか?それらは運の話しではない。運というジャンルでまとめない方が良い。
なぜ、こんなに努力しているのに成功しないのか?
なぜ、あんないい人が亡くなるのか?
なぜ、あんな人が成功するか?
一見すると理不尽で説明できないことが日々起きている。運は、因果関係では説明できないと考えるのも当然だろう。
しかし、少なくとも我々は他人の人生を生きているのではない。与えられた命を使い切る重大な責務を持って生まれているのだ。多くの成功者は、運に頼る前に全力を出し切る。後は野となれ山となれの無心の境地になってはじめて運の方から味方するかもしれない。
運とは何か?
二つの自問自答を思い出してほしい。
- この世が2人だけの世界だったら、運が良いとはどういうことか?
- 宇宙人は運をどう思っているか?宇宙人は占いをするか?
ミルキヅクの運の定義は、相手に尽くし感謝された総量だ。ただ尽くすだけでは独りよがりな偽善に過ぎない。
この世がAとBの2人だけだとする。AはBに何をすると運が実際に良くなって行くだろうか?Aが窮地に陥った時にBが手をさしのべる理由は何であろうか?それは、Aが無償のギブを続けているからだ。自然の摂理に従って因果応報が働いたに過ぎない。仮にBの手がAに差し伸べられなかったら、Aの無償のギブはBには、むしろ迷惑だったということだ。
与えるという行為も熟考しなければいけない。自分勝手な献身はだめだ。
宇宙人は運に頼らない。宇宙人は運命すら制御していると推測している。宇宙人は占いをしないし、する必要もない。なぜなら、運に頼る必要もなく、あらゆることを制御できるからだ。宇宙人は神頼みもしない。究極に科学を究めているに違いない。その結果、神の意味すら明確にわかっているに違いない。
自然の摂理には運の良し悪しはない
運の研究がされている。たとえば、運がいい人とは、気づく力のことだと主張される説もある。
「運命」と「宿命」を分ける議論もある。宿命は変えられないが、運命は変えられると。マンガ北斗の拳では、「運命に従うも運命なら 運命に逆らうも運命」というセリフがある。
ミルキヅクのスタンスは、もともと、運などは存在しないと考えている。運も、人間が作った人工概念だ。人が作った概念に翻弄されてはいけない。
未来は決まっている。時間は人間が作った概念に過ぎない。空間は過去、現在、未来という時系列に存在するのではなく、同一空間にすべてが存在している。その中には、いくつもの未来が重なり合って用意されている。どちらの現象が現れるかは因果応報に従い現れると捉えている。
セミナーでは、「運」に頼らない力強い生き方ができるよう、「運」についても深堀し、自分なりの哲学を持っていく。
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