前回は命の話をした。今回は死だ。人生の誘惑の一つに死の恐怖がある。死の回避は動物の本能でもある。
人は自我意識がある分、他の動物より死を恐れる。我々は、どこから来て、どこへ行くのかわからないが、死に対して得体のしれない恐怖がある。仕事でも勉強でもわからない事は怖いが、一旦それがわかると恐怖心は緩和する。
死の恐怖を克服するメリット
死の恐怖は判断力や決断を鈍らせる。一騎打ちでは、技も大事だが、死を意識した者が破れやすい。
死は永遠の暗黒というイメージがある。しかし、光を感じるのは、人間の感覚であって、相対的だ。そもそも光も音も感じない生物も多くいるはずだ。そういった生命にとって死に暗黒のイメージは無いのかもしれない。
一方で、人間以上に、光を詳細に感じる生物もいるかもしれない。そういった生命は死を人間以上に恐れるだろうか?
暗闇は光との対象で捉えられるが、必ずしも暗闇がダークな世界とは限らない。もっと別次元の空間もあるかもしれない。
死は長い眠りであり、無意識になると想像しやすいが、本当に意識がなくなるかは、死んでみないとわからない。案外、生きている以上に覚醒状態になるかもしれない。「意識」の本質もまだ解明されていない。いずれにせよ、死ねば生まれる前の感覚に戻るだけだ。
時間と死を切り離して考える
死を永遠の闇と感じてしまうのも、「時」を意識できるからこその感覚だ。時間は人間が作った人工物だが、死は時の中で捉える対象物ではない。次元がそもそも違うのだ。
また、輪廻転生という概念は、死の恐怖を緩和するかもしれないが、前世の大元をたどると人間の前は何だったのか?という議論になり、理解しずらい。人間はアメーバ―の子孫ですと言われてもしっくりこない。人間は原子の子孫といわれても、意味不明だ。では原子は死の恐怖を感じるか?原子の死とは何か?
人間の細胞は60兆個あると言われている。毎秒、その多くが生死を繰り返している。細胞レベルでは死んでいるのに我々には意識が続いている。同様に我々が死んでも、我々は、ある存在の細胞の一部にすぎないかもしれない。映画マトリックスのような世界なのかもしれない。
地球上ではざっくり、約2秒で人が生まれ、2.2秒で一人死んでいく。人の死など、地球から見れば大した問題ではない。
永遠の生
終わりがあれば、始まりがある。生があれば死もある。それが当たり前だと思っていたが、技術革新により将来はどうやら永遠の命が手に入るようだ。そこでは、死の恐怖よりも恐ろしい、永遠の生というテーマが待っている。
健全な死生観すら持てない人間が、永遠の生を受け入れられるだろうか?永遠の生は、一見うれしいように思える。しかし、お化け屋敷の何億倍も恐ろしい得体のしれないモノだ。それは、永遠に夜が来ない日々の継続ということか。
この世は、死が前提で議論されている。人が一生懸命頑張るのも、少なからず、人は死ぬという前提が影響を与えている。が、人が永遠の命を手に入れると、今を生きる根拠がなくなる。すると地球は怠惰な人で溢れ永遠の生に恐怖して暮らしているのだろうか?
宇宙人は死をどう考えているか?
宇宙人は死をどう思っているだろうか?
宇宙人は、生死を完全にコントロールしていると推測している。心臓のようなものは持っていない。むしろ、永遠に電気的なものを発生させる装置で動いているに違いない。宇宙人にとって意識を消したければ、体のどこかのスイッチを押すか、「意識を消せ」と念じて実行させるだけだろう。
宇宙人にとっての生死は、人間の睡眠に限りなく近いはずだ。人は睡眠を恐れない。同じように、宇宙人も死を恐れていないと推測している。
死の恐怖は判断を鈍らせる。また、決断を躊躇させる。死を当たり前のモノとして受け入れる力を得ることで、永遠の生に対しても動じることなく対処できるだろう。
世の中に永遠に生きているモノがある。それが理念だ。自分の理念を見つめる行為は、死生観を磨く行為でもある。死を熟考することは、時の支配から逃れ人生を生き切る大事な問いだからだ。
死の恐怖を克服した人は、限りなく迷いが少ない。死を恐れないモノは、ある意味、無敵だ。
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