前回は、役割分担を果たす大切さを説明した。
生きていると、さまざまな誘惑がある。自分軸がないと誘惑に負けやすい。人生の誘惑の多くが、お金の話しと関連している。逆に言えば、お金を稼ぐために、多くの人が策略しているのだ。
「自分にとって何が一番大事か」という軸がないと優柔不断になる。そこに隙がうまれる。自分の決断に自信が持てず、行動を躊躇させる。一度の判断ミスでが再起不能になることもある。
本当に大事なモノを見失わず、ブレない生き方をするためにも、人生を誘惑する次の定義をよく熟考してほしい。熟考することで、日常生活で襲ってくる誘惑に対して、強い免疫力がつくだろう。
- 幸せとは
- お金とは
- 命とは
- 死とは
- 生きる目的とは
- 運とは
- 働くとは
- 情報とは
- 人間とは(ロボットとの違い)
- 愛とは
役立つ問い もしもこの世が2人だけなら?
これらのワードを熟考する際「もしもこの世が2人だけの世界だったら?」という切り口が非常に役に立つ。
例えば、「お金とは?」について考えてみたい。お金に関する誘惑は蔓延している。多くの人が甘い話にのって失敗する。お金に関する犯罪や殺人もたくさんある。お金は資本主義社会において大事なツールだが人を盲目にさせる。
いつの間にか目的と手段がすり替わることがよくある。ある社長が「100億めざす!」という目標を掲げたとする。世のため、人のために役立つ製品サービスを提供して結果として100億達成できればよいが、「100億達成」がいつのまにか目的になる場合がある。目的が手段化した不純のビジネスは社会の弊害を生む。
さて、先ほどの問いを使ってお金について考えてみたい。
この世がAさんとBさんの2人しかいない場合、お金とはどういう意味だろう?お金を儲けるとはどういうことだろうか?Aがお金持ちになりたいと考えた。お金をもらえる人はBしかいない。Bに購買力が無ければ、Aがどれだけ優れた製品サービスを作っても売れない。
経済は人間が回している。2人が3人になり、3人が4人になり。そうやって70億人が暮らしている。基本的なお金の原理原則は2人だろうが70億人だろうが変わらない。宝くじは一攫千金物語だが、くじ購買者の売上金の集中的分配にすぎない。たとえ1等を得たところで、真のお金の使い方を知らなければ、宝の持ち腐れだ。宝くじを当てた後人生が破滅することはよくある。
お金に対する哲学や、熟考が足りないのだ。「お金」が無くても生活できるか?「お金」というツールがない時代はどのように人は生活していたか?などの問いも役に立つ。
ちなみに、ミルキヅクは資本主義において、お金とは「価値の交換ツール」であり、「各々が作り出す価値の差の見える化」がお金だと定義している。
例えば、AがBに対して100の付加価値を提供した。一方、BがAに50の付加価値を提供した。付加価値の差が50。この50を見える化したものがお金という解釈だ。ここで、貨幣を発行する機関がないと、この50という価値は見えない。「貸し借り」という心理的な要因だけが残る。
同じように、「幸せ」の解釈も各自が腹に落とし込めていないとさまざまな誘惑に負ける。またすばやく判断ができなくなる。幸せの解釈は相対的だ。人によってさまざまだ。何を幸せと捉えるか吟味してほしい。
理念実現書作成セミナーでは、そういった人生の誘惑にビクともしないマインドを養っていただく。
『理念実現書作成セミナー全40回』