人生を楽しむには命あることが前提だ。
命を守るために、感覚器官が発達している。たとえば、犬は嗅覚が強い。タカは視覚が強い。コウモリは聴覚が鋭い。
では、生存のために人は本来どの器官が強くなっていくものだろうか?
ずばり脳だと考える。より具体的には心だ。暗い心は生命力を弱くし、究極に病むと自ら命を絶つこともある。
そこでミルキヅクの心の鍛え方や制御方法をまとめた。
結論から言えば、心を鍛えるためには「面白む」ことだ。
英語のenjoyとは意味合いが違うので説明したい。
心の鍛え方
目の前に起きることはすべて必然
運命を傍観する
生きていれば何かが起きるものだ。うれしいことも、かなしいこともある。最初のコツは、人生で起きる出来事を映画のスクリーンのように見ることだ。
未来はすでに決まっている
そのために「未来はすでに決まっている」と捉えてみると良い。映画でもフィルムがある。フィルムに物語が書かれてある。
「いや、未来は決まっていない!」との反論もある。ここは、未来が確定しているか、未確定かの議論をしているのではない。
「未来はすでに決まっている」と捉えてみることの提案をしている。
すると、「未来が決まっているなら一生懸命やる必要はない」との意見もある。しかし、このように考えると自分の人生を「面白め」ない。
なぜなら惰性や虚無感で生きるには人生は長すぎ、また、人間に無償で与えられている「想像力」や「創造力」をも無駄にしているからだ。
時は流れていない
「未来はすでに決まっている」と捉えると同時に、時間も流れていないと捉えてみると良い。
人間には感覚器官があるので、過去や現在や未来という概念で時間を意識する。しかし、「時」は人間が作り出した人工物に過ぎない。
「未来を憂えず、過去を悔やまず」という格言がある。
未来を憂えず
なぜ、未来を憂うのか?
それは、人間が作り出した「時」の概念に心が捉われるからだ。
時が意識できるからこそ、未来を思ってしまうのだ。そして、その未来に対して、勝手な「期待」や「不安」を抱いてしまう。
人が何かを「期待」する心理は、できるかどうか不安な事柄に対する実現を願う気持ちからである。
「期待」は、突き詰めれば鍛練不足から生じる感情だ。一心に没頭している事柄に対しては、期待という甘えすら出てこない。
一方、「不安」は生命や生存に対する危機に対して起きる。
過去を悔やまず
時が意識できるがゆえに、人は過去の出来事をも引きずり、そして悔む。未来が決まっているならば、過去も決まっていたのだ。
そう捉えてみることで、「たら、れば」という心の重みから解放されやすくなる。
以上の心構えで、過去や未来、そして現在を捉えてみるのが面白むコツだ。
面白むとは?
ところで、「面白む」の説明がまだであった。「面白む」とはどういう意味か?
「面白い」の語源を調べると、面=目の前。白い=明るい。つまり、目の前が明るいことをいうらしい。
面白むためのやり方
では、目の前はどのように明るくするのだろう?
答えは、「挑戦」である。挑戦は競争とは違う。競争は人と競うことだが、挑戦は自分との闘いである。
その背景には、この世の本質は弱肉強食ではなく、役割分担の果し合いによる共存共栄社会という哲学がある。
だから、自分の役割を果たすために「挑戦」することが大切になる。
挑戦する
挑戦をする時は柔軟発想が必要になる。
柔軟発想とは 常識の裏に隠れた答えを見つけ出す思考法だ。
挑戦し続けると経験値が増し直観力も優れてくる。
結果として、 強く必要とされるナンバー1になる。人から必要とされることは「面白ん」だ結果得られ、目の前を明るくする。人から必要とされることは、うれしいものだ。
放出する
1.無償のGive up(ギブアップ)
さて、挑戦を実行する際すべきことは、強く握りしめているものを手放すことだ。それだけで心が軽くなる。
手放すやり方は、ギブアップすることである。ギブアップとは諦めることではない。giveを完全にupするということだ。
すなわち、相手に対するgive活動のスピードと回数をアップすることだ。
神に貢物を奉納するように、自分以外の誰かのために、あなたの力を与え続けてみると良い。
2. 無償のギブに対してgive back
二番目に、受けた相手の無償のgiveに対して、give backすることだ。すなわち、恩返しだ。
バーターを要求してくる相手のgiveに関してもお返しは大事だが、無償のgiveは尊い。かならず何らかの形で恩返しをすることが面白むコツだ。
感謝する
Give & Give
次に、「感謝」である。感謝はするものでなく、常に感じているモノだ。常に感謝を感じている状態を作り出すやり方がgive & giveだ。
何かをしてもらったから、ありがとうというのは、感謝とは言えない。当たり前のことである。
give行為の連続が感謝している状態を表すので、わざわざ感謝しようと意識しなくてもよくなる。
こだわらない・執着しない
次に、面白むためには、こだわらないことだ。
こだわりは、「怒り」や「悲しみ」を発生させる。それらは、心を重くし、目の前を暗くする。
怒りは「コンプレックスが指摘されること」や、「期待に対する裏切り」や、「絶対正義に対する反論」から発生する。これら3つとも、すべて、自身のこだわりから発生している。
怒った時は、自分の中にあるどのこだわりから発生してしまったのか確認作業を繰り返してほしい。
なぜ、人はこだわるのか?
ではなぜ人はこだわるのか?
その心理には、「承認欲求」があるからだろう。人から認められたい欲である。
承認欲求は自分の弱さの裏返しの感情でもある。自分の弱さとは「不安」のことである。「不安」とは、己の存在意義に対する心配の感情だ。
その行き着く先は、孤立することの怖れであり、究極は生命に対する危機である。
一人で生まれ、一人で死んでいくのに、一人はやはり怖いのだ。
コンプレックスで怒りが生じるのも、孤立に対する不安である。
xxだったら人から嫌われるのでは。xxだったら白い眼で見られたり、差別されるのでは…。そういった不安である。
コンプレックスも心を重くする感情だが、文化や時代によって変わるので、いちいち、こだわらないことだ。
たとえば、ハゲをコンプレックスに感じている人も多いが、ハゲが99%の世界では、逆に毛があることにコンプレックスを抱く可能性が高いだろう。背の高さも、低さも、同じだ。
吉本新喜劇のように、コンプレックスを最大限に生かしきるというスタンスが、こだわりから抜け出す秘訣だ。
お金でコンプレックスを解消するやり方もあるが、次から次に発生してくるコンプレックス的なモノをお金で解消するには限界があるだろう。そもそも対策できるお金が無いことも多い。
どうやってこだわりを捨てるか?
没頭する
では、どうやって自分の心を重くしてしまう「こだわり」を捨てるか。
キーワードは、没頭だ。人の喜びのために没頭することだ。
やりたいことが無くてもよい。人の夢の実現の手助けのために没頭してもよい。やりたくても、やりたくなくても、目の前に与えられた仕事に没頭するとよい。
他人の喜びのために「こだわる」
どうしても「こだわり」が捨てられないなら、他人の喜びのために徹底的にこだわってみることだ。そうすれば、「こだわる」感情に、捉われることがなくなるだろう。
こだわりが消えたり、捉われなくなると、怒りや悲しみが減り心が軽くなる。
また、「自分と他人との比較」という人間の癖からも解放される。
もちろん、人は比較の中で物事を選ぶことが多いが、比較は次の比較物を求め、心を慌ただしく、そして、めまぐるしくするだけだ。「比較」も、「こだわり」から発生している。
人は人、自分は自分で、自分の役割分担を見つめ、人のために没頭することだ。そして、没頭するためには刺激を五感に浴びせかけることだ。そのために、人の喜びのために「考え」、「行動する」ことである。
余談だが、「人を活かす」という言葉は、人より優越感を持った人の傲慢発言だ。面白む人は、人は活かすものではなく、どんな状況であってもすでに生かされていることを知っている。
何を与えられるか?
さて、面白むには、「give」が大事なのだが、与えるモノがそもそも無いと思って人もいるだろう。
そこで、『無財の七施』と言って、お金が無くてもできる「与える行為」がある。やさしい眼、おだやかな顔、いたわりの言葉、奉仕、共感など、いろいろだ。
それらも尊いが、人のために没頭している行為そのものがすでにgiveをしているのだ。わざわざ「無財の七施」を考える必要もない。
仮に、一人でもあなたの没頭する姿に心打たれたならば、あなたの没頭が、一人の人間に勇気を与えたということだ。
これも十分すぎるほどのgive行為と言える。一人の没頭が他人の没頭のきっかけとなるるのだ。
バカ殿さま的は知っている
人の目を意識してバカを演じる
できれば、没頭する時に人の目を意識しながら没頭してみることだ。
xxバカというのは、没頭する人のことを表す。
よく、「人の目など気にせず好きな事をやれ」というアドバイスもあるが、それでは自分勝手で本当の馬鹿になりかねない。自己満足の没頭は、目の前を明るくするのではなく、自分の目の中を明るくしているにすぎない。
「あなたがいるから、私がいる」という哲学が大事だ。人は一人では生きていけないのだから。
バカ殿様の深い哲学
面白む達人がいる。志村けんが演じている『バカ殿様』だ。
バカ殿様の顔は白くまゆげが太い。滑稽だ。顔が白い、つまり、顔=面、が白いということで(面白い)、顔を白くしたのだと考えているが、まさに、人の目を意識して化粧を面白んでいる。
バカを演じているのだ。
バカ殿のように自らバカを演じることで周りは優越感を感じる。そして、緊張感が抜けた何か楽しい雰囲気が生まれる。バカな殿のために一肌脱いでやろうという気持ちになる。バカを演じることで人が面白むきっかけを作る「没頭」を作り出しているのだ。
バカ殿は目の前を明るくしている面白みの達人である。
人生を楽しむコツは「面白む」ことだ。誰かの喜びのために自身を没頭させことをおすすめしたい。
ミルキヅク