日本では活発な議論などそもそも期待できない。ビジネスとプライベートは別だと言っても、器用に区別できる人は少ない。
理性脳と感情脳をコントロールできる人は少ないのだ。
一方、上司の意見が明らかに時代遅れだった場合、それを暗に諭す能力は高いと言える。
空気を読む力が強い。それは、相手に対する気遣いからくる能力である。
日本の体質に合っていないものを導入しても、うまくはいかない。欧米のように、会議で「自分の意見を言え」なんてことは、肌に合わない。社長や上司の顔色を伺う叱咤激励会議が多い日本では、なおさらだ。
「その場を乗り切るために取り繕っておけば良い」という考えが優先する。
我々は性質的に議論が苦手
我々は、もともと激しく議論はしない。明確にも、答えない。議論が苦手だ。
議論がお互いをわかりあう唯一の手段だとも思っていない。「あ・うん」の呼吸は、対話の中で生まれるのではなく、相手に対する尊重から生まれることを遺伝子的に持っている。
「前向きに検討させていただきます」という玉虫色の回答は、相手を思いやった、やわらかい断り文句だ。
一般的に、我々は明確な表現を使わない代わりに、空気を読み合い、妥協点を探りあう。相当、高度なテクニックを使って生活している。
二者択一で割り切ると、明快だが、衝突が生じる。
空気感を捉える力 間を理解する力がずば抜けている
我々は空気感を捉える力が強い。そもそも、活発な議論など導入しなくてもよい。活発な議論は、相手を敬う姿勢があれば、勝手に対話が盛り上がっていくのだ。
また、なぜ活発な議論が必要なのかの根本的な理由を考えてみると良い。
議論をしなくても、一人の頭の中からイノベーションは多々生じる。喧々諤々の議論から、ガラクタの妥協案がでることも多い。何のための対話なのか、議論なのか、改めて熟考してほしい。
日本では、活発な議論より、相手を徹底的に思いやる心や気遣う心を磨くと良い。
場の雰囲気力を鍛える参考ブログ
ミルキヅク