「勝つ」「負け」は、いつの時代もある。
しかし、「勝つ」ことが、かっこ悪い時代になっていくはずだ。
競争社会は、そもそも存在しない、というのが、ミルキヅクのスタンスだ。
世界中の会社が1つになったら、結局、部署内での役割分担ということになる。
何を甘いことを言っているんだ!
世の中、弱肉強食だ。という人もいる。
しかし、よく自然の摂理を観察してほしい。 そこには、「勝つ」、とか、「負ける」という話はない。
強いて、そういう議論をするならば、「負け」は、自然界では、即、死を意味する。
しかし、人間界では、「負け」=「死」は、あまりない。
自然界には、「勝ち」も、「負け」もない。負けたから死ぬのではない。他の生命を生かすために、犠牲になったのだ。
人間は、たまたま食物連鎖の頂点にいるが、何も、その他動物は、人間に負けたから食われたのではない。自分の生命を譲っているのだ。
その譲られた生命を生かすためにも、各自の役割分担を必死で探さなければいけない。
いや、でも、やはり世の中は競争だ。どう考えても、「勝ち」「負け」だ。という人が、まだ大半だろう。
例えば、サッカーは、1点を争う、「勝ち負けを争う競争」だと思う人も多いだろう。
しかし、サッカーというスポーツも、一つの役割分担としたらどう捉えられるだろう。
サッカー選手の役割分担は、美しいボールさばきと、ボールまわしと、チームワークと、スポーツマンシップで観客を魅了することである。
それが、役割分担だ。その役割を忠実に究めたチームが、本来は頂点を得る。
人は、その姿に感動し、また試合を見に来たくなる。
「勝つこと」自体が目的になったプレーに美しさはない。感動も生まれない。
勝ち負けを越えた美しさが役割分担の中にある。
さて、我々は、能力的な差こそあれ、よりよい社会にしたいと、みんな頑張っている。
「 勝ち組」とか「負け組」という暗示にかからないように、役割分担を心がけてほしい。
では、どんな役割を果たすか?
唯一競争があるとすれば、それを探す自分との戦いだ。
その戦いには、ぜひ勝って、あなたの役割を見つけてほしい。
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ミルキヅク