先義後利(せんぎこうり)とは、
「道義を優先し、利益を後回しにする」という意味であるが、
「利益」とは、付加価値の対価。
つまり、
お客様から喜ばれた対価だ。
一方、
「道義」は、利益に関係なく果たすべき、人間の生き方だ。
「先義後利」の考え方は、捉え方を間違えると
おかしなことになる。
というのも、
「道義をちゃんと果たしているから、仕事をくれよ」という
話にもなってしまうからだ。
つまり、
「道義」を果たしたことを理由に、
「利益」という見返りを期待した、
いやらしい考え方ということだ。
みなさんの周りでも、
そんないやらしい営業マン
多くないだろうか?
子供でいれば、
宿題(道義)やったから、遊ばせて(利益)と同じだ。
「道義なき利益追及」は、そもそも論外であることは確かだが、
道義は、「利益」に関係なく、それだけで存在する。
子供の例で言えば、
「宿題」は、「遊び」を条件としてやるものではない。
むしろ、「利益なき道義」を果たす場面が、
我々の生活では圧倒的に多い。
道義が先にきて、利益が後というのは、
結果論であって、いやらしい気持で義理を果たしても、
「利益」は来ない。
仮に利益が来ても、それは、本質ではない。
そう思う。
ミルキヅク