GDPと軍事費は連動する。
そうすると、
中国の軍事費が今後、他を圧倒する。
仮に、
中国が世界を支配したとする。
そうすると
軍事費はいらなくなるか?
おそらく必要だ。
それは、誰かと戦うための費用ではなく、
軍事産業で働いている人が食べていくためだ。
経済は、
戦争よりも、日々の暮らしにある。
付加価値活動をし、
分配を受け、消費する。
これが、経済。
軍事費が、戦争の抑止力的意味でも
捉えられたりもするが、本質的ではない。
誰も、お互いのコメカミに銃口を
付きつけた状態で暮らしたくはない。
一見すると、
軍事費は、戦う相手を想定して
予算取りされているようにも見える。
戦う相手がいると言うことは
線引きが明確でなければいけない。
線引きは、文化風習のアイデンティティーで
決まる。
一つの国が世界を支配するということは、
一つのアイデンティティーで統一されることである。
それは、自然の摂理からしても考えられない。
自然の摂理は、
多種多様の生命のバランス連鎖である。
結局、
すべての戦いは、
「無知」や「誤解」によって、生じる。
人がどんどん賢くなれば、
- 相手の生き方を尊重すること
- 役割分担を果たすこと
というシンプルかつ明快な生き方が
大事だということに気が付く。
だから、
「軍事費」という言葉に扇動されてはいけない。
99.9%の人は、争いなど好んでいないし、
仕掛けようとも考えていない。
負けるとわかっていても、
理念のために生きて死んでいく人は
大勢いる。
軍事費の大きさが重要なのではない。
世のため、人のために尽くす
尊い理念が重要だ。
ミルキヅク