倒産しない組織体はどこ?と問われたら、三井、三菱、住友など財閥系会社や、国に守られた会社系をイメージするだろうか。
答えは、「国」だ
だから、多くの親は、国家公務員になれという。言い方を変えれば、「安定」を得よ、という意味だ。
「安定」は重要な視点である。
ところで、公務員は国民の税金で生活している。
だから、ある意味、民間の会社で働くよりも高い倫理観と責任が求められる。
安定に安住した瞬間、国民からの共感は得られない。
しかし、人間誰しも自分が可愛い人多い。世のため、人のために真剣に考える人は、基本的には少ない。
人は基本的に、保守的な人が多い。
公務の本質とは
世の中にAさんとBさんしかいないと仮定する。
そこには、 国という組織はない。だから、公務員も必要ない。AとBだけで、生活は完結する。
我々は、法治国家に生きている。法律を考えるのは、実質的には、頭のよい官僚だ。
公務員が法律を作成するなら、彼ら自身の首を絞めるような法律は、まず、作らない。
公務員自らの「安定」を揺るがす法律は、作らない。
しかし、そうなった瞬間に、公務の本質からかけ離れていく。
公務は、公共的な仕事を、暗黙の信任を託されて代行する、崇高な職務だ。
基本的には、AさんとBさんの生活だけなら「公共」という概念が育っていないので、必要ないのだが、人が増えてくるほど、そういった仕事が増えてくる。
そういったモノに、税金を集め、予算を作成し、執行される。公共性から大きく外れた予算の使い方をすると叩かれる。
基本は、自分たちで、衣食住、インフラ作りなど、できるものはどんどんやっていくのがよい。本来は、そうあるべきだ。
これからグローバルになり、混血が増え「国」という感覚は希薄化するかもしれない。
「愛国心」という言葉が、何となく、マインドコントロールに使われるうさん臭い言葉に変わりつつある。
最近では、一企業が国よりも力を持ち始め、公務的な仕事も民間レベルで質高く行っている。より生活しやすい地域へ、より働きやすい地域へ、と考えるのが人の性だ。
そして、質の高い人材を求めて、国単位、地域単位で、集客活動が激化する。
一生懸命頑張る国民や企業は、あほらしい法律が蔓延する地域から去っていく。
愛国心や、アイデンティティーにこだわらなければ、世界中どこでも住めば都である。
あきれた住民が去った後に残るもの
住民が去った後、彼らの税金で生活していた人たちだけが残る社会になったとする。
さて、その税金でしていた仕事は、いったい、住民にどんな付加価値を提供したのだろう?
公務の本質は、住民が去るような仕事であってはならない。
「安定」に安住したいという人間の感情がある一方、「国民のため」とか「住民のため」という基本理念を忘れると、そもそも物事は成立しない。
ミルキヅク