会社の「利益」は正義か悪か?
「そんなの、正義に決まっているじゃないか!」
という社長が大半だろう。
さて、本当だろうか。
利益の本質について考えてみたい。
会社が「利益」を必要とするのは、
- もしもの時の蓄え
- 事業を永続するため
- 投資のため
いろいろある。
このブログでは、利益を営業利益として捉える。
利益とは他の購買力を奪うこと
ドラッカーは、「利益」について「企業が事業を継続発展させていくための条件」という。
本当に事業継続のために利益はいるだろうか?
amazonは、利益のほとんどを投資して事業を継続させている。
amazonは利益をどのように捉えているだろうか?
「顧客は常に正しい」という理念の中で、利益はどのような位置づけなのだろう。
経常利益が10%以上ある会社は超優良企業。
5%以上あれば、優良企業と言われている。
利益がある会社が、いい会社だと思われている。
当然と言えば、当然だ。
ところで、日本の経済を一歩引いて観察してみたい。
日本のGDPは、ここ10年(2006年~2015年)ほど、平均1%弱ぐらいしか増えていない。
GDPは、言い換えれば、会社の粗利益の総計だ。
世の中全体で粗利益が1%も増えていないのだ。
つまり、購買力も1%増えいないことを意味する。
すなわち、社会全体では、どこかの会社の粗利益が1%以上増えれば、別の会社の利益や分配が減ることを意味する。
ここにおいて「利益」とは、他の購買力を奪うという意味になる。
バランスが大事
企業や個人が内部留保すると、その分、経済の循環が悪くなる。
そこで、国がバランスを取るために、国債という名目でお金を世に流す。
至極もっともなことだ。そして、それが、形式上、借金と言われている。
業績連動で、簡単に給与が下げられる制度ならよいが、労働者は手厚い法律で保護されている。めったな事では、減給はされないし解雇もされない。
だから、国もバランスを取る。
購買力はもっとあるのでは?
企業レベルでは400兆円弱の内部留保があるらしい。
個人レベルでは現預金が700~800兆円ぐらいあるらしい。
すると、潜在的には、GDP500兆円以上の購買力があるように見える。
しかし、実は、そうでもない。
企業や個人が持っているお金の総額を一人当たりで割ればわかることだ。
たとえば、個人レベルであれば、引退してから死ぬまで(約20年)として、会社レベルでは、売上0円が続いたとして、内部留保で何年倒産せずにいられるか計算してみてほしい。
そうすると、膨大に見えた現金は、それほどでもないことがわかる。まして、嗜好品を躊躇することなく買えるような購買力のゆとりはない。むしろ、将来の保険的な予備費の性格が強い。
利益を生かす考え方
そもそも、この記事は、「利益」を残すことが悪だと言おうとしているのではない。
構想力、戦略、戦術が熟考され、それに向かって一生懸命頑張れば、利益は残る。
そして、それをしなかった会社の利益が頑張った会社に移るだけの話しだ。
そういった会社に人も流動し、社会全体では500兆円というお金の流れの中で我々は生活している。
一企業が利益を残そうが、残さまいが、世の中全体では変わらない。
GDPの循環の中で、できるだけ多くの国民がバランスよく安定した生活を送れる社会を実現していくことが大事だということだ。だから、ベーシックインカムという概念もでている。
頑張る企業に利益が集中する。その利益が内部留保として使われないと、経済の動きは悪くなる。だから国がバランスをとるために国債を発行する。
しかし、そもそも購買者に、購買する力やスキルが備わっていなければ、お金が市中に回らない。
不条理な税務
一方、国は稼いだ企業から不合理な税金を取ってはいけない。本末転倒だ。
それをすると、一生懸命頑張る企業は、租税を回避する小細工をするか、すぐに去っていく。結局、国民生活はもっと疲弊していく。
利益は企業が頑張った努力の証だ。
それをどのように活用するかは、できるだけ企業に考えさせるのが良い。
一方、企業は、消費者の購買力を意識しなければいけない。
どれだけいいモノを創っても、購買力がなければ、商品は売れない。利益を使って、消費者の購買力を上げる協力をすることが理想的な利益の使い方だ。
社長は、そういったバランス感覚を理解しながら、事業に邁進してほしい。
利益は悪ではないが、社会全体が良くなるお金の使い方を意識すると利益も生きてくる。
自然の摂理に、「一人勝ち」という概念は無い。
ミルキヅク