ECサイトのさくらレビュー事件以降「評価」という指標の信頼性は無くなっているように感じる。
「評価」情報は購買判断の要素である。
評価に頼るのは、自分では判断できない時や、買って後悔したくないという気持ちが大きいからだろうか。
そんな購買者の情報不足や心理を逆手にとって「評価」が利用される。
たとえば評価をお金で買う行為。さくらレビューで騙されて買った資金を元に「評価」を買い、それでまた消費者が騙されるという循環を繰り返す。購買者が支払うお金が評価を上げているようなものだ。
本当に役立つ製品・サービスづくりなど横に置いて、手っ取り早く売上だけを考える。
たしかに、売上がなければ企業の存続は厳しい。売上から支払義務を果たすという信頼。一方、その売上は人を騙して手に入れたという不信。そこに信頼のジレンマがある。
信頼があるようでないこの世の中。だからこそ信頼が大事なわけだが、昔も今も信頼は大事な要素だ。
信頼とはなんだろうか?
では信頼とは何だろう?うそをつかないことか?ウソをつかなければ信頼されるか?そういう意味では世の中は誇張広告の雨嵐だ。ショッピング番組で購入して、使ってみたら番組で紹介されていたことと全然違うことはよくある。しかし売れ続ける。
かといって、くそ真面目に紹介していては売れない。
作るより売る方が何倍も難しいと言われている。たしかに、良いものなのに人に認知されず廃棄される製品・サービスは数知れない。だから企業は多額の広告費を支払って認知させようと努める。真摯な製品サービスづくりよりも認知活動は優先させがちだ。
ユーチューバーやインフルエンサーへの不信
今後は動画マーケティングがさらに主流になってくる。そこではインフルエンサーやユーチューバーが活躍するだろう。
しかし、広告費をもらって自分の意に反して宣伝した場合、さくらレビューとあまり変わらない現象が起きるだろう。信頼されなくなったインフルエンサーやユーチューバーの影響力は弱まるだろうか。バーチャルキャラを使っていれば何度も変更できるかもしれないが、生身であればいっそ金よりも「信」を選ぶとよい最後はブランドを確立する。
といっても金を選ぶ割合が8割だと推測している。いずれインフルエンサーやユーチューバーという職種もさくらレビューのようなうさんくさい存在にならないように気をつけたいものだ。
では今後「評価」に代わるものは?
今後、購入された100万の5つ星レビューに勝るのが、信頼ある一人のレビューではないかと推測している。
信頼ある一人のレビューとは
では信頼ある一人のレビューとは?
すぐに思いつくのが下記の要素。
- 実体験に基づいた評価と考察
- 金銭関係がまったくない中立的な専門家の考察
- 公正な実験データ。
- その実験条件をすべて情報公開
信頼はブランドになっていく。
長く存続している企業は信用があるからか?製品・サービスが購入され続けている以上、不信感があっても存続している企業もありそうだ。ただ、一般的には信頼を無くす行為をした時には存続が危ぶまれることは過去の謝罪会見を見てもわかる。
信頼はブランド化していく。ブランド品は真似されやすい。真似されやすさは信頼の裏返しであるかもしれない。
ブランドとなっていくものは何を大切にしているか?顧客視点を重視した製品・サービスに対する飽くなき改善ではないだろうか?それをまさに「信」と呼ぶのではないか。
「星レビュー」や「評価」は今後ますますうさんくさくなり、今と同じような評価感覚での判断基準とされなくなるだろう。
評価に真摯さはあるか?
評価に真摯さがないものがある。遊び半分でネガティブな評価が書かれたり、アンチのいたずら書きもある。はたまた、動作的に、手が触ってしまうところに評価ボタンがあるレイアウトもある。「確信犯的レイアウト」とでも呼ぼうか。訂正するのが面倒とそのままにする利用者も多いと予想している。そういった利用者の意思を反映していない評価もたくさんある。
信頼は昔も今も大事。
信頼ある製品サービスとは何だろう?
では信頼ある製品・サービスとはどういったものだろう?
- 後から振り返った時に、使ってきてよかったと思うもの。
- 使って心から嬉しかったもの。
- リピートしているもの
- 生まれ変わっても使いたいと思うモノ
「評価」に対する不信は今後ますます強くなっていくだろう。昔のように「評価」を信じる人は少なくなっていくだろうか。
本当に良すぎるものは情報公開されないのかもしれない。たとえば、WEB上の住宅物件より良い案件は一部のものが囲い込んでいるに違いない。
世の中に溢れてしまった評価に騙されない購買スキルを身につけたいものだ。