点とは?
さてこれから旅を始めるわけだが、旅には目的地がある。
目的地には地点がある。 例えば目的地が東京なら、東京が最終地点だ。
地点には「点」という漢字が使われているが、そもそも点という場所に到達できるのか?
何をもって東京に到達したと判断するのか?
線とは?
都道府県を分けるものに境界線がある。
境界線を越えたら地点に着いたということか?
であれば、境界線の線の厚みはどのくらいか?
また境界線の中に入った時が地点というならば、点には面積という大きさが含まれているのか?
先生がチョークで点や線を黒板に書く。すると点と線が実際に見える。
厚み3ミリぐらいだろうか。
点はどの大きさになった時に点と呼ぶのだろう?
大きさが0では点すら見えない。点は限りなく0に近いのだろうか。
限りなく0に近い点はどんな形をしているか?
たとえば、目の前に1つのリンゴがある。
リンゴは細胞で構成され、細胞は遺伝子で、遺伝子は原子で構成されている。
原子も素粒子で構成されている。素粒子の形はいろいろ説があるが、
仮に最小の点なるものが球だとする。
それらが空間に満たされていると、隙間が生じる。
一方で点が正四面体であれば隙間はない。
しかし、それらで構成される空間では、物体は動けないように思える。
点や線という概念は現実の知覚に合っていない。
そう。その気づきが大事なのだ。
実は、数学と現実は別。
当たり前なのだが、ふと油断すると現実の感覚で数学を捉えていないだろうか?
これが数学が苦手になる1つ目のトラップだ。
なぜなら、数学の概念と感覚と合わない時、「わからない!」という感情が生まれるからだ。
数学は想像物
数学は人間が作りだした発明品。
便利な発明品だから実用化されている。
たとえば、指や石を使わなくても、0から9までの数をつかって頭の中で計算できる。
また、数学は超合理的かつ超効率的。
無駄な事はしないし、余計なものはできるだけ省く。
たしかに数学は現実とは違う。
しかし一方では、現実世界を近似させられる。
数学は未知数を見つける学問である。
その未知数を知るためにいろいろな記号が使われる。
記号が意味するもの
数学は超合理的な学問。だから一般化される。一般化すると応用が利く。
そして、一般化する際に記号が使われる。
では、そもそも記号とは何か?
記号とは、未知数を知るツールである。
その未知数の状況を各記号が説明している。
記号が説明しているとはどういうことか?
例えば授業で、わからない数をx(エックス)とおくと言われる。
しかし未知数の中にもいろいろな状況がある。
そういった状況を加味せず、未知数をすべてxで代用すると計算しにくい。
たとえば、ある数を何かに代入した時に出る未知数を知りたい時は、f(x) (エフエックスと呼ぶ)という記号を使う。関数と言われている。
この場合、単に未知数をxで表してしまうと、xという文字には、「ある数を何かに代入した時」という追加情報が入っていない。
他にも以下の例がある。
「ある規則に基づいた数の合計」の未知数を知る記号はΣ(シグマ)
「何回掛けたら自身の数字になるか」の未知数は√(ルート)
「何乗したらある数になるか」の未知数はlog(ログ)
一見難しそうに見える記号は、どれも未知数の情報を詳しく簡単に教えてくれる。
わからないものをとりあえずxと置いてしまうと、そのわからない状況の詳細がわからない。
だから、いろんな記号を使って、わからない状況を説明しているのだ。
それは、むしろ親切といえよう。
だから、Σ、√、logなど、意味さえわかってしまえば、xより断然使いやすい未知数を知るツールになることが理解される。
記号も発明品
記号も発明品。優れた記号は数学を進歩させる。
数学は人類で発展させ続けている共作だ。
記号づくりも数学の大事な仕事。
記号を発明したように、古代ギリシアの数学者であったユークリッドは点や線について、その意味を定義した(発明した)。
彼は数学書『原論』の中で、点を「部分を持たないもの」、線は「幅のない長さ」だと定義した。
なんと!点は部分をもたないと言っている。そして、線は幅がない長さと言っている。
そして、高校数学はそのルールのもと進められていたのだ。いつのまに!
数学的と現実的
すると東京という地点は部分を持たないことなり、境界線には幅がないのでいつ東京に入ったのかがわからない。
しかし、現に東京は存在し境界線もある。
これが数学概念と現実感覚とのギャップである。
このギャップを知覚しておくだけでも、1と0.999…が同じということや、微分の時にでてくる、限りなく0に近づけるというイメージしがたい違和感に対する処方箋となる。
この、数学と現実の差を認識していないと、数学の「わからない」が助長されていく。
なぜなら、意識しないと常に頭は数学的ではなく「現実的」に捉えようとする癖があるからだ。
しかし、一方では数学は現実を近似できるので、可能な限り、現実的な感覚と合致するような説明の方が理解が促される。特に数学が苦手な文系には。
さて、ユークリッドさんの定義に従うと、黒板の点や線は実は見えていないことになる。
チョークの線や点が見えるのは、単に授業をわかりやすくするための便宜上のものだったのだ。
微分積分
もう一つ、なぜ点の話をしたか。それは、微分積分の意味がわかりやすくなるから。
ここでは詳しい内容に入らないが、ユークリッドさんは、点を部分無きものと定義した。
それに対して、微分の概念を生み出したニュートンやライプニッツらは、部分がある点や線のような概念を導入した。