本日からプレミアムフライデーが導入された。
便利になるほど忙しくなる矛盾を感じながら、我々は日々働いている。
人間の底なし沼の欲を止めることができれば、もっとのんびりと生活できるのかもしれない。
しかし、人は進化し続ける。これからも忙しさは変わらない。
プレミアムフライデーは「働き」を見つめる良いきっかけ
さて、プレミアムフライデーをきっかけに、そもそも「労働」とは何であろう?
Eメールの無い時代は、意思疎通手段はハガキや手紙であった。
配達時間は、数日かかった。
一方、Eメールが出現してから、労働者は毎日大量のメール処理に時間を費やすことになった。
はたして、メールによって労働生産性は上がったのだろうか?
メールの送信や返信作業は「労働」と言えるのだろうか?
Eメールの内容を分析すると?
Eメールで送られてくる内容を分析すると、どうでも良いことが大半だ。
そもそもメールする必要のないことも多い。
昨今は、ただでさえ忙しいのに、情報共有の名のもとに、本当に必要な労働時間が奪われているケースが多い。
どれも、社長や経営者の思考や戦略が浅いからだ。
労働生産性は基本的に向上している
我々は、日進月歩を続けるので、労働生産性は日々向上している。
労働生産性とは、ざっくり言えば、日々の工夫であり、おおざっぱに言えば、世界GDPの伸び率のことである。
GDPとは、付加価値創出の値だ。
世界のGDP平均は、ざっくり5%。
100の成果物が、翌年、同じ時間で105できる付加価値を創出する力を得たという意味だ。
仮にこれが50年続いたならば、労働生産性は11倍強になる。
たとえば、洗濯物の手洗いで110分かかっていたものが、洗濯機の登場で実質10分でできるようになったイメージだ。(手洗い洗濯時間110分 ÷ 労働生産性11倍)
「洗濯機に入れる前の段取り」 + 「洗濯ボタンをセット」+ 「取り出す」 の作業合計で、確かに10分以内で終わる。
このように、労働生産性が50年前に比べ11倍になったのなら、11時間の労働時間は1時間でよいのではないか?
「労働生産性」と「幸せ」
幸せの概念は利便性と相関関係は薄い。
働く目的が、究極は幸せの追求であるならば、本来は労働時間を短くしてもよい気もする。
人が50年前と同じ欲求で安住するならという条件がいるが。
しかし、日々の競争や技術進歩の中で、新しいモノが生まれ、新たな労働が生まれていく。
人の生存の最重要課題が「衣食住」であれば、まず、そこを確保できていれば良いことになる。
しかし、今、人は、ロマンや人類滅亡の回避の目的で宇宙を目指してる。
そこで発生する労働時間は膨大だ。
宇宙以外でも、衣食住に関係のない労働は多い。
すでに、多くの人が、人の根源である「生存」とは疎遠な労働に時間を費やしている。
それも、技術進化の結果なのであるが…。
宇宙のための労働をしなくても、人は十分幸せにあふれた生活はできる。
何のために働いているのか?
労働生産性を見つめることは、単に、企業間競争の話だけではなく、人の生き方が問われている。
個人的には、進化の先には「労働」という概念が無くなっていると予想している。
地球に来る宇宙人がいるとしたら、ほぼ100%労働していないと推測できる。
つまり、生きるための労働は、もはや必要ないのだ。
生死すらコントロールできる生命体や技術すら獲得している存在は、きっと、宇宙のどこかにあるに違いない。
毎年、ボタン一つで実現できることが増えていくが、そうなれば、何も8時間労働をしなくとも、ボタン一つで衣食住が確保できることになる。
そういう社会では、しばらく、ベーシックインカムという働かなくてもよい理由づけが必要になるが…。
いずれにせよ、人類の労働時間は減って、最後には消滅していく。
プレミアムフライデーを積極的に捉え、働く意義を深堀してほしい。
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