想像力と創造力を使って人間は『心』を進化させている。
弱肉強食が真実ならば、強い者が生き残るはずだが世の中はそうなっていない。自然の摂理は、万物たる霊長である人間に対し、常に無条件の愛と、真ごころを求めているように感じてならない。
今では信じられないと思う事が昔はたくさんあった。そして、理不尽さに立ち向かい、自由や権利を獲得するために多くの命が犠牲になった。
法と人権
法の下の平等や人権意識が芽生え、一人の人間の横暴で人間の自由が拘束されることが減少した。自由と平等が広がった。人権という概念が無かった時代は人間の尊厳が軽視された。憲法では、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と最低限の生活を保障している。
身分制度
士農工商やカースト制度という身分制度があったが職業選択の自由でずいぶんと柔軟になった。憲法でも保障されている。
武士の「切り捨て御免」は乱用されたと推測できる。憲法第三十一条で「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」とされている。あたり前であるが、個人的な感情で勝手に人は切れなくなっている。心が成長した証だ。
人種差別
人種差別は今も昔も続いてるが、昔に比べて改善されている。昔は人間動物園なるものがあった。人間が人間を鑑賞したのだろうか?人種差別で多くの人が悲しい想いをし、命を奪われた。人を色で判断してしまう人間の愚かさは少しはましになってきた。
命の軽視
昔は神に捧げる生贄としてカニバリズム(人間の肉を食べる)が行われていた。人の命が軽視されていた。
男女差別
憲法第十四条は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と謳っている。今でも首をかしげるニュースを耳にする。レイプされた方が処刑されたニュースがあったが男女差別は改善される努力が続けられている。
こころの自由と表現の自由
思想及び良心の自由は侵されないことは当たり前に思えるが、昔は心で思っていることまでズケズケと拘束してきた。踏絵が良い例だ。信教の自由が無い時代は、異端児は虐殺されることもあった。今でもそうだ。また、言論の自由が広く認められるようになった。昔は言論や表現の自由が制限され人間の精神活動が思うようにできなかった。人間の理解力が広くなった証拠だ。
人身売買
人身売買は昔に比べ大きく減った。今でも一部地域で行われ未成年が誘拐され闇ルートで売られているらしい。昔は奴隷貿易の名の元、商品として当たり前のように売られていた。
リーダーを公平に選べる
選挙権は広く与えられるようになり、自分たちのリーダーを決める公平さが増した。まだまだ一票の格差は大きいが、被選挙人に託す想いが反映されやすい選挙制度になる努力が続けられている。
義務の中にも自由がある
納税の義務はあるが、一統治者の裁量で勝手に徴収量が変わることがなくなった。 勤労の義務はあるが、多くの法律が被雇用者を守っている。昨今では長時間労働やワークライフバランスなど、労働環境の改善が進んでいる。
移動の自由
好きなところに住んで好きに移動するなど当たり前だが、それが制限された時代もあった。今では当たり前のように海外旅行に行くが、それが認められない時代もあった。海外渡航の自由も保障されている。
権利と義務のバランス
最近は、権利が主張され過ぎている場面も見受けられる。しかし、心の進化は権利と義務の最適なバランスポイントを見つけ出すだろう。今でもいろいろあるが、万物の霊長である人間の理想の心を求め日々人間は努力を重ねている。
以上のように、人は心を少しずつではあるが進化させている。
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