前回は人間に生まれた3つの奇跡を説明した。
ディズニーランドでもUSJでも入場料を払って楽しむ。ところが我々は地球ランドに無料で入場した。ただより高いものは無いと言われる。地球ランドにはアトラクションがたくさんある。人生のイベントは冠婚葬祭だけではない。地球自体が最高のエンターテイメントの場だ。
その地球上において人間は食物連鎖の頂点に位置している。また、人間には特別な能力である『想像力』と『創造力』が与えられている。他の生物と違って、はじめから優位なポジションにいる。
お上の声が聞こえない
仮に神様がいるとして、「なぜ、我々を作ったのですか?」と聞きたいところだが、その声が聞こえない。その答えを得るために昔から多くの修行者が苦行に耐え答えを得ようとした。開眼した者もいる。
地球ランドが人生の遊園地ならば、亡くなる時に「あ~楽しかった!」で良いのかもしれない。たしかに、楽しいことは大事な要素だが、そんな気楽に人生が終わっては、人間が奇跡の存在で生まれた責務は果たしたことにならない。
我々は耳があるが、お上の声が聞こえない。
たとえば、あなたが水を飲むためにコップを作ったとする。そのコップがしゃべることができ、「どうして私を作ったのですか?」とあなたに聞いたら、あなたは明確に答えることができる。
「水を飲むためだ」と。
さて、神さまの考えていることはわからない。しかし、勝手に推測することはできる。
我々は奇跡の存在で生まれ、想像力と創造力を与えられた。この地球でどう生きるとよいか?次の3つが大事だと思っている。
- 役割分担を果たす
- 進化する
- 相互尊重する
本記事ではまず1の『役割分担を果たす』について述べたい。
役割分担を果たす
多くの人が、この世は弱肉強食で、弱いモノが強いモノに支配される世界と思っているに違いない。世の中は競争で溢れているように見えるからだ。現に競争に負けている人は強くそう感じるにちがいない。
しかし、ミルキヅクは、強い者が生き残る世界というより、弱い者が命を譲っている世界と捉えている。それが自然の摂理だと推測している。
この世は役割分担の果し合い。役割を各自が明確に理解していないと無用な競争が続く。役割分担を明確にし、命を懸けて世のため、人のために取り組んだのなら、競業相手は協業になると信じている。
同じ技術を競い合うより、お互いの技術を相乗的に高め合った方が効果的だ。それが自然の摂理に適った切磋琢磨だ。役割分担が明確であれば勝負は挑まれない。隙がないからだ。全員が各自の役割分担を命をかけて果たし合ったならば、特許も本来は不要だ。言葉で技術を保護しなくとも、世のため人のためにオープンにする。
役割分担を果たすことは、他の生命の犠牲の元成り立っている我々の命に報いる行為になり、自然の摂理に合致する。
あるビデオレンタル屋に神様がいる。楽しそうなDVDを探している。そのDVDのタイトルがあなたのこの世での役割分担だ。手を伸ばして観てもらえるタイトルを作成するのが理念実現書だ。
『理念実現書作成セミナー全40回』