死生観を持つことが大切な理由

結論

死生観を持つことでジタバタしない生き方ができる。

人は不快なものを解消していく。死は不快。だから人は死を克服していく。

 

「人生は一度きり」。本当だろうか?

 

もしも、人生が一度きりでなかったとしたら。

もしも、人生に終わりがない時代がきたら。

 

死生観とは生き方のこと。適切な死生観があれば過去、現在、未来に振り回されない。

 

死生観を持たないデメリット

①やりたい事こと探しの罠にはまる

②人生の意味が見い出せず鬱になる

③時間を効率的に使うがゆえに失う大事なもの

④過去の後悔を引きずる

⑤現在の焦り

⑥未来の心配

⑦○○しなければ幸せになれない思考。

⑧もっとxxしておけばよかったという言い訳

⑨実現できなかった夢への執着

⑩生き急いで健康を害する

⑪金儲けに走り地球を住めない環境にする

⑫周りを自分の価値観で振り回す

死生観を考える前に、死を意識することで発生する弊害について考察したい。

 

死を意識することで起きる弊害

①人は死ぬ

②時間が存在する

③5感で知覚するものが真実

④個体がある

⑤感情が生きている証

⑥言葉で意思疎通できる

⑦物事には意味がある

⑧善悪がある

①人は死ぬ

毎日人が死ぬニュースを見聞きしたり、誰かの死に直面すると死がないと考える方が難しい。

 

地球が丸いことも、電気の存在も、飛行機の出現も、信じなかったように、人は想像できないことは信じない。

 

しかし、衣食住から解放され宇宙空間を飛び回る技術を確立しているころには、人間は死を克服しているだろう。そのころは高性能のロボットかもしれないし、意識だけで存在できる非物質かもしれない。

 

②時間が存在する

人間が死を知覚できる要因は時間だ。「時間」は人工物。

 

その人工物によって自らの人生が振り回されている。

 

例えば、将来のビジョン。そのビジョンを達成するために「タイムマネジメント」や「ToDoリスト」や「目標管理」にストレスを溜めている。

 

もしもビジョン達成の前に死がやってきたらその無念は空間を漂い続ける。

 

さらに「人生は一度きり」という一見常識に見えるフレーズを真に受け、誤った判断をしてしまう。

 

たとえば、人生は一度きりだからと、やりたいことをやった挙句不幸になるケースはあまりに多い。

 

いずれ時間と空間が同じであると理解した人間が時間から解放されていくだろう。

 

 

③ 5感で知覚するものが真実

人間が「時間」を想像できるのは知能と感覚器官があるから。

 

果たして人の感覚器官から想像された「時間」という概念は真実だろうか?

 

感覚器官は錯覚する。脳が誤処理したり都合のいいように情報変換する。

 

であれば時間の実在性を議論するより、時間は人工物であるという認識でとどめておく。

 

④個体がある

知能と感覚器官があることで「自分」という存在を認識する。「個」を認識するからこそ死を恐れる。

 

個が意識できれば死と同様、永遠の命も怖いはず。

 

「個」という意識は差別意識も生む。人種差別が典型的。権利意識も生む。権利も人工概念。権利は個を守る概念だが、権利概念から発生する紛争は多い。

 

周りの命があってはじめて自分という個が存在できる。生かせてもらっているのに「私が生きている」と勘違いする。

 

⑤感情が生きている証

そして「個」は喜怒哀楽を感じる。感情こそが生きている証と錯覚する。

 

喜怒哀楽は対象物があって発生する。感情は周りとの関係性の中でうごめく。

 

喜びは生命に対する安心であり、怒りは生命を守る感情。

 

哀しみは生命を失う嘆きであり、楽しみは生命との戯れ。

 

愛は叫ぶものというより、そこにあるもの。自他の区別がなければ愛し合う必要すらない。対立も生まれないので衝突もない。

 

⑥言葉で意思疎通できる

喜怒哀楽を表現するのが「言葉」。

 

感情を的確に言葉で表現できても100%同じ意味では相手に伝わらない。

 

思考するために使う言葉はまだしも、言葉が相手に向けて使われる時は脆弱である。だから「対話では永遠に分かり合えない」。

 

⑦物事には意味がある

その不完全な「言葉」を使って、人は物事に意味づけする。だから「意味」も不完全。よって意味づけされた事柄も不完全。

 

「意味」も人工物にすぎない。そんな人工的な概念に拘束されるなんて馬鹿らしい。

 

それでも人は人生に意味を付けたがる。まるで味気のない料理に塩をかけるように。

 

なぜ「意味づけ」をやめられないか。それは死ぬ前に「自分」が存在した証を残したいからだろうか。

 

⑧善悪がある

「意味づけ」は最終的に善悪という色眼鏡を作る。

 

善悪は常に自分軸から見て評価が下される。正義とは一人の人間から見た主張にすぎない。人は優劣をつけ自分と相容れないものを悪として戦っている。

 

以上のように死を認識できるがゆえに弊害も多い。

 

次に死の恐怖を緩和する方法を提案したい。

 

死の恐怖を緩和する考え方

①地球レベルで考えてみる。

数秒ごとに地球に入退場する魂の一部に過ぎない。

地球レベルの魂サイクル

 

②ミクロ視

人体には60兆個の細胞があると言われている。その60兆個の細胞レベルでは瞬時に生死が繰り返されている。自分もその一部に過ぎない。

さらに掘り下げて

細胞を構成する不滅の原子・素粒子レベルで自らを捉えてみる。

③誰かのために生きてみる

自分以外の対象物に命を捧げる生き方。貢献や献身や奉仕。

 

④宇宙視点で捉える

宇宙の歴史から見た時に、たかだか100年の人生が1回しかない方がおかしいと捉えてみる。

 

⑤自分ワールド

各自に1つの宇宙が与えられていると捉える。自分以外のすべてはコンピューター制御されたものと考えてみる。

 

死生観こそ不老不死の薬

人生の意味を考えすぎたり、やりたいこと探しの果てに何も見つからなかった経験はないだろうか。

 

死生観を掘り下げ「死」を克服することで自らの内に安住の地を手に入れる者は誰しも偉大な哲学者だ。

 

ソクラテスは魂が永遠であることを確信し死を受け入れた。

葉隠では「武士道とは死ぬこととみつけたり」と喝破されている。

 

赤ちゃんや小さな子供は死も時間も意識しない。だから生きるエネルギーに溢れている。時の流れに身を任せるのではなく、そもそも時を意識しない生き方がよい。

 

死生観が確立できれば、永遠の無におびえ冷凍保存しなくても、人間の意識を存続させるべく火星に移住しなくても、不老不死の薬を開発しなくてもよい。

 

ルターのように「たとえ明日地球が滅びようとも私は今日リンゴの木を植える」的な生き方すらいらない。

 

泣いて生まれるなら死んで笑うはず。死に怯えるのではなく、死を楽しみに待ちながら生きる死生観を確立したい。

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