世の中は、競争と言われる。
共存共栄は理想だが、現実は、儲け合いの闘いだ。
善意でも、悪意でも、顧客目線だろうが、競業他社を意識しようが、結局、購買されなければ、負けとなる。
要は、人の購買力の取り合いだ。
だから、「強み」を生かせと言われる。
その強みで、多くの顧客のニーズに答えていくと、お金が貯まる。
しかし、世の中の本質は、「利益を限りなく0円にする戦い」なのではないだろうか。
それを、共存共栄という。
「利益を限りなく0円にする戦い」を具体的に説明する。
世の中に、AさんとBさんの2人しかいないと仮定する。
その社会において、AとBの等価交換が常に成立するように、お互いが技術を磨くということだ。
等価交換が常に成立すれば、「利益」という概念は生まれない。
そこには、「儲け」という概念は発生しない。
「儲け」とは、つまり、A、Bどちらかの付加価値の差のことである。
しかし、その「差」は、手に入らない。
なぜなら、購買力がないからだ。
たとえば、AがBに100に付加価値を提供する。
BがAに95の付加価値を提供する。
Aの付加価値は5高い。
だから、Aは5の利益を貨幣で持っているとする。
しかし、次は、Bは、95までしか購買できない。
例えば、Aが100の付加価値を再び提供しても、
Bは95しか買えないのだ。
そう考えると、一見、資本主義は、儲け合いの闘いのように見えるが、「相手の等価交換力に合わせる社会」が本質なのかもしれない。
AがBのために技術を磨く
BもAのために技術を磨く
どうしても、人間は、同じではないので、付加価値に差がつく。
この差が常に0になるように、お互いが協力し合ってやっていく社会。
それが、理想なのかもしれない。
資本主義の本質を考える上でおススメ本
中江藤樹の部で、ある武士が、大金を馬に積んだことを忘れて、そのまま返却してしまった。
それは他人のお金だったので、責任をとろうと自害まで考えた。
すると、馬主がわざわざ、大金を武士まで届けに来た。
命の恩人として、大金の25%をお礼として渡そうとしたが、断固として受け取らなかった。
どうしても受け取ってほしいと嘆願すると、歩いて届けに来た草鞋の消耗代だけをもらっていった。
なるほど、これぞまさしく、利益0円の話だと感心した。
とても良本だ。特に海外に行って勉強する人は読んでほしい。
ミルキヅク