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ミルキヅクのブログ

あなたの中の、「何のために」を、スッキリさせるお手伝い

「人は何のために生きているのか?」の簡単な回答~辛い経験をしているあなたへ~

ミルキヅク視点 ミルキヅク視点-人は何のために生きているか?

まず、結論から言おう。

 

「 人は何のために生きているのか」という現実逃避の問いで、目の前の「本題」をすり替えるな。である。

 

 

 

「人は何のために生きているか?」

 

あなたも、一度は、考えたことがある命題だろう。

 

この問いを深堀する前に、そもそも、なぜこの質問が繰り返されるのかを考えたほうが良い。

 

 

 

「人は何のために生きるのか?」の定番回答

上記の問いの、典型的な答えは以下のとおりだ。

 

  1. 人に愛を届けるため
  2. 人生を楽しむため
  3. 宇宙の進化発展に貢献するため
  4. 地球環境を維持するため
  5. 自分の一生を悔いなく生きるため

 

 もっともらしい。

 

 

 

人生に生きる目的などない!?

また、ある人は、「生まれてくることに目的などない。そんなことを考える暇があったら、働け!」という。

 

しかし、人類はそう遠くない未来において、働かなくても生きていける時代に入るだろう。働かなくなって、余暇時間が増えると、「人は何のために生きているか」という命題を人はゆっくり考え出すだろうか?

 

きっと、しないだろう。

 

さて、 「人は何のために生きているか」を問う前に、それを考えるきっかけとなった出来事を冷静に分析すると良い。

 

 

 

「人は何のために生きるのか」が頭をよぎるきっかけとは?

「人は何のために生きているか」を問い始めるのは、次の状態で頭がいっぱいの時が多い。

 

  • つらすぎる体験
  • 生活苦
  • 裏切り
  • 虚無感
  • 孤独感
  • 大失敗した時

  

要は、ネガティブな感情になった時に、「人は何のために生きているか」という問いを始める。

 

そして、この問いに答えることができれば、それらの心の苦痛から解放されると思っている。

 

 

 

現実逃避の言い訳!?

しかし、多くの場合、この、「人は何のために生きているか」の深遠な問いは、現実逃避の言い訳として使用されている。

 

議論をすり替えているのだ。

 

つまり、「人は何のために生きているか」を問うまでもなく、物事が解決されることは多々ある

 

例えば、恋に破れた人が、生きている甲斐がないと消沈しているところに、良い出会いがあると、「人は何のために生きているのか」の問いは、消え去る。

  

また、不断の挑戦と工夫の継続で、問題が解決されることが多くある。 

 

例えば、ビジネスで、大きく失敗したり、信じた人に裏切られると、「人は何のために生きているのか」を考え出すが、あきらめずにやり続け、ビジネスが好転すると、その問いも、どこかに行ってしまう。

 

「人は何のために生きているか?」の問いは、乱用されている。

 

 

 

「生きる目的」と「死なない現実」のジレンマ

今後、人類は、技術進化により、「死」を克服する。

 

つまり、人が死ななくなる。

 

 「人は何のために生きているか」の問いは、人が死ぬことが前提で議論される。

 

人は死ぬからこそ、充実した人生を送るために死生観を説く書簡があったり、また、「今を生きる!」や「人生は一度」のような標題で時を大切する考え方がでてくる。

 

しかし、人が不老不死を手に入れた時、議論の前提条件が180度変わる。

 

そうかといって、人が死ななくなれば、「人は何のために生きるのか」の問いから逃れられるかと言えば、むしろ逆で、今より深刻にこの哲学に向き合わざるを得なくなると推測している。

 

 

 

では、人は何のために生きているのか? 

人間の立ち位置から考えてみたい。

 

人間は、「食物連鎖」の頂点に位置する。人が毎日食べている物は、他の生命が捧げられたものだ。人は、自分以外の命によって生かされている

 

その生かされた命を自然の摂理からどのように使うべきか。

 

答えは神様に聞かないとわからないが、推測することはできる。

 

 

 

1.無条件の奉仕(役割分担を果たす)

一つ目が、自分以外の者に対する無条件の奉仕だ。役割分担を果たすと言い換えてもよい。だから、人生における役割分担を真剣に考える義務が人間にはある。

 

ミルキヅクが、己の理念を見つ出すツール理念実現書に力を入れるのもそのためである。

 

食物連鎖の本質は弱肉強食ではなく、他者への無条件の奉仕である。

 

弱いから強いモノに食われるのではない。

 

強いモノを生かすために、弱くなっているのだ。

 

この本質を理解している人は少ない。

 

自分に与えられた命という素材を、刻んだり、削ったり、 つぶしたり、練ったり、 熟成させたり、焼いたりして、よりおいしい形にして、他に提供する。

 

名作アニメのあんぱんまんで、主人公のアンパンマンの顔が食べられるが、これは、無条件の奉仕の意味が込められていると推測している。

 

アンパンマンの歌詞は哲学的だ。ぜひ、ワンフレーズずつ意味を吟味してほしい。

 

「人は何のために生きているか」のヒントになるキーワードがたくさんある。

 

 やさしさ、笑顔、勇気、愛、奉仕…

 

 

 

2.自然に涙が出ることのために命を使う

人間が生きている理由は、自然に涙が出ることのために存在する。

 

涙はウソをつかない。人によって、自然と涙があふれる状況は違う。

 

あなたは、何を見た時、感じた時に、涙が自然と溢れるだろう。

 

それがあなたの本心だ。

 

本心に従った生き方をすると良い。

 

1番の話しと似ているが、ミルキヅクの場合は、勇気を出して一歩を踏み出す人や、人のために自分の命を犠牲にして尽くす行為に自然と涙があふれる。

 

要は、貢献である。

 

 

 

3.技術や心の進化のために命を使う

人は技術を常に進化させている。日進月歩。今は、火星に行く技術を確立するまでになっている。

 

また、「心」も同時に進化させている。

 

人の喜怒哀楽の感情は昔から変わらないが、倫理観という心は向上している。

 

昔は、人間を動物園にいれて鑑賞していたくらいだ。今では信じられない。

 

 

 

4.互いを尊重するために命を使う

最後に、相互尊重という価値を認めないと他の命を傷つけることになる。

 

人にはいろいろなタイプがあり、考え方も千差万別だ。

 

また、そもそも、何が正義の概念は相対的だ。時代によって、正しさは変わる。

 

たとえ、好き嫌いがあっても、とりあえず、すべてまとめて「尊重する」という姿勢が原点である。

 

それが自然の摂理であり、何のために生きるのかの一つの回答である。

 

 

上記の話しを一言でまとめれば、要は、「世のため、人のために」、人は生きていると言える。

 

 

 

 

 傲慢な自問自答

「我々は何のために生きているか?」という一見尊い自問自答は、実は、エゴから発生する傲慢なのかもしれない。

 

「人は何のために生きているか?」を問う行為は、自然の摂理を越えた、一人よがりな議論なのかもしれない。

 

そして、その議論は、強すぎる「我」から発生している

 

というのも、人間以外の動物は、そもそも「何のために生きているか?」など考えない。

 

人間も自然の摂理の中で生きている動物だ。

 

ちまたにある、「自我」を取り去る修行は、「人は何のために生きているか」の自問自答トラップから抜け出す行為なのかもしれない。

 

 

 

不老不死のジレンマ

ところで、人が不老不死になると、「我」を捨て去って、自然の摂理で生きている人でさえ、苦痛に感じるに違いない。

 

パラドックスだが、技術を進歩させ、死を乗り越えることで、自然の摂理を外れてしまった。

 

そして、自らの技術によって、「何のために生きているのか」という究極の質問を永遠に突きつけられることになる。

 

「人は何のために生きているか?」の議論は、今後、不老不死が実現すると、自然の摂理を外れた、まったく次元の違う価値観から論じられる対象となる。

 

現状の我々の生活においては、その哲学的な問いを考える必要もなく、あらゆる問題が解決されていく。

 

2017年3月時点においては、「人は何のために生きているか」の本心は、現実逃避の言い訳である。 

 

そういった意味で、いまのところ、「人は何のために生きるのか」を考えている時間があるなら、か一つでも創意工夫を加え、現状を打開していく生活をしたほうがよい、と言えそうだ。

 

 

 

 

まとめ

 「何のために生きているか」の8割の回答は、現実逃避の言い訳だ。

 

辛い経験をしている人も、ケビンカーターの今にも死にゆく少女「ハゲワシと少女」の写真を見て何を思うだろう。

 

世の中では、地獄の底で這いつくばってでも必死で生きている人がいる。

 

「何のために生きているか?」などと悠長な問いをしている暇などないほど日々の生活に追われている人も大勢いる。

 

五体満足でない人ですら笑顔で世のため人のために生きている人が大勢いる。

 

大震災で、一瞬にして全てを無くした人もいる。 

 

ましてや、健康な体をもっていながら、「何のために生きているか?」と空腹でもないのに、悠長に問うている自分がいて、まだ、力が残っているならば、力尽きるまでチャレンジしてみると良い。

 

全部やりきったのなら、あとは野となれ山となれ。

 

結果は、神のみぞ知る事だ。

 

 

 

 

生きる目的を深堀する参考記事

 

人生の目的を深堀する「幸せ」の定義 

mirukizuku.hatenablog.jp

 

 

 

生きる目的を知るための「死生観」 

mirukizuku.hatenablog.jp

 

 

 

お金持ちになる数学的証明 

mirukizuku.hatenablog.jp

 

 

 

 

「お金」の本質的な意味 

mirukizuku.hatenablog.jp

 

 

 

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