人間は万物の霊長と言われている。
動物界でトップにいる。
それが意味することは、誰からも、基本的に食べられないということだ。
これは、すごいことだ。
獲物を射止める飛び道具
人間は、矢に毒を塗り、遠くにいる獲物を捕獲する。
技術が発達すると、銃を使って、遠くのモノを一撃で仕留める。
暗闇でも、相手に照準を合わせることができる。
海に行けば、網で魚の群れを一網打尽で捕まえる。
それができるのも、人間に知恵があるからだ。
もしも動物が高度な知能を得て人間を襲ってきたら?
人間に近い動物は猿だ。
仮に、イモを洗って食べるような少し賢い猿がいて、人間めがけて毒矢を投げつけてきたらどうだろう?
または、猿が仕掛けた落とし穴に、人間が落ちらどうだろう?
人間が洞窟に入った瞬間、入り口ゲージが突然閉まるトラップを猿がしかけたら?
ほんの少しでも賢い生物が誕生したら、人間は、羽を伸ばして遊べない。
人間は、海へ山へと旅行に行くが、すべてが危険地帯となる。
海でも山でも、どこからともなく、毒針が飛んでくるとしたら危なすぎる。
逆に、なぜ、毒針を人間に向けて飛ばしてくるような生き物がいないのだろうとも思う。(実際いるかは不明)
ある日、アナコンダが進化して、毒針を飛ばす技術を身につけるかもしれない。
本当に獲物が少なくなって、生き残るために進化せざるを得ない状況ならば、どんな動物でも突然変異の可能性はある。
人間は、気楽に生活しているが、他の動物の飛び道具や仕掛けで殺されないだけでも、マシた。
動物園の猿を思い浮かべながら思った。
不自由な猿
ところで、人間は、猿を見て不自由だと思う。
では、何が不自由なのか?
- 食事は出されるが、娯楽がない。
- つまらなそうにしている。
- 着る服がない。
- 清潔感がない。
- 狭い土地に軟禁されている。
すべて人間基準の判断だ。
本人たちは、そんなこと微塵も感じていないかもしれない。
人間が進化して超人類になった時
人間はサルから進化したという説がある。
仮にこれが正しいとすると、いつか人間も超人類に進化する。
それは、シンギュラリティが起きて間もなくだと思うが、そこで誕生した超人類は、地球と言うゲージに軟禁された人間を不自由と思うだろう。
すこし、地球の歴史を振り返ってみたいが、進化は海から発生している。
そして、海から地上に向かっていった。
海→陸→空→宇宙→宇宙の外
この進化の方向の流れは変わらないだろう。
今人類は、宇宙に挑戦しているところだ。
宇宙が通常の生活圏になったころに、超人類が地球の主役となっているだろう。
きっと、血液は流れていないだろう。
超人類は人間の何を不自由と感じるか?
我々が、猿を見て、不自由と思うように、超人類も、我々人間の生活を観察して、不自由だと感じるに違い。
その要素は以下のようなものがあるだろう。
- 戦争
- 奪い合い
- 権利意識
- 我
- 理性
- 縄張り意識
- 時間
- 労働
- お金
- 死
- 空腹
- 病
- 移動の遅さ
- 移動の制限
超人類は、そういった制限に捉われず活動している。
だから、人間のことを気の毒に思うかもしれない。
まさか、自分を生んでくれた先祖様とは思わないだろう。
我々が猿に手を合わせないのと同じ感覚だ。
しかし、悪あがきだが、人間には想像力が与えられている。
一応は誰からも食われない万物の霊長だ。
超人類から、不自由だと思われそうなものは、我々の想像力を発揮して、日々解決していきたいものだ。
余談:人間は超人類に殺されるか?支配されるか?
人間は、超人類に支配も、殺されもしないと予想している。
ちょうど我々が、猿に対する態度と同じだ。
生活空間も、生活概念も違う。
物理的に同じところに存在しても、まったく別の存在だ。
超人類は人間を支配する必要もなく、いつでも支配できるほど能力に違いがありすぎるのだ。
超人類は、人間を地球で飼いならすか、放置するだけだろう。
ミルキヅク