この記事は、1%だけ「そうかもな。」と思って読んでいただければと思う。
ブッダも人間だったなら、もっと俗物的だったに違いない。
フランスのルーブル美術館に行って、豪華な絨毯に描かれた詳細を観察すると、作成者の「おちゃらけ」が垣間見えた。
歴史の教科書から学ぶと、神聖化されたり、勝手な思い込みがあるが、いつの時代も、人間の感情は変わらないと感じた。
さて、ブッタや仏も、偶像崇拝されすぎていると仮説すると、実は、仏の手の形は手相を良くするために、そうしたのではないかと思った。
「手相と運命」には密接な関連性があると昔から研究されているし、心理が手相に影響すると主張する人もいる。
ブッタも、そのことに気が付いていたのだと思う。
占い師は手相を良くするための手の開閉方法を指導するがブッタも俗物的に、「手相をよくしたら、運命良くなるかな」的な泥臭い感情で「手印」を研究したのではと、推測している。
豊臣秀吉は、刀で自らの運命線を刻んだとも言われている。
手相に翻弄されるくらい弱い心を天下人も持っているくらいだ。
ブッダも人間の時は、かなり俗物的であったに違いない。
ちなみに、チンパンジーにも人間と似たような手相がある。
どうでもよい話だが……。
ミルキヅク