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神社の絵馬に書かれた願いと心理!もっと自分と向き合う

ある神社に行った。絵馬にたくさんの願い事が書かれている。「xxになりたい」系を初めとする、合格祈願、健康祈願、安産祈願など、いろいろだ。その中で、とても一般の人間とは思えない高尚なモノがある。第三者や地球規模に対する高尚な願いだ。

 

「みんながよくなりますように」的な願いは素晴らしい。同時に、どこか引っかかるところもある。もちろん、世のため人のために生きることは原理原則であり、成功の元でもあるし、自然の摂理でもある。

 

しかし、絵馬に書かれた「第三者への願い」は、実は、己と完全に向き合っていない心理の裏返しなのではと感じた。

 

 

戦後と違い現代は、とりあえずの生存が確保されやすい世の中になっている。空腹は減った。一方で、精神的に生きづらくなっていることも確かだ。

 

 

 

快適性と怠惰

そんな中で、製品サービスは進化し続け、安価でも快適性を確保しやすくなった。快適性があると、生きるモチベーションが減りやすくなる。要するに、人を怠惰にさせる。空腹は神経を研ぎ澄ませ知恵を出させる。何より、空腹時は、人のことよりまず自分のことを中心に考えやすくなる。

  

「腹が減っては戦ができぬ」や「衣食足りて礼節を知る」という格言は、ある意味、「我」のことを表している。

 

私たちには「我」がある。それは「個」という認識で感じる。あなたと私を同一意識では感じていない。地球上の人間の意識が1つに感じられる感覚が実在するか不明だが、少なくとも、「個」の感情で動いている。そして、「個」に対して、一つ一つ命が与えられている。

 

 

 

権力の集中とやる気

現代は権力が分散している。ローマ帝国や始皇帝の時代など、一か所に権力が集まるほど、「個」の人格は軽視され壮大さが実現した。多くが奴隷のように扱われただろうが豪華な宮殿が建った。その豪華さは見る人の感動を生む。

 

人は権力の集中を嫌い公平を求めた。そして、権力が分散し公平になると、今度は、人を感動させる壮大なモノができなくなる。要は、平凡になる。平凡は無感動に繋がる。現代の無感動は、安価に快適さが実現できることと、権力の分散が原因であろうか?

 

 

 

絵馬に書かれるべき本来の願いとは?

さて、我々には「個」として1つの命が与えられている。その意義を考えることは、すなわち、使命を考えることだ。この与えられた命に真剣に向き合う時、本来、絵馬にはどんなメッセージが書かかれていることが理想なのだろうか?

 

自分の欲に満ちたメッセージも面白い。「俺様が1番になる」的な絵馬はあまり見かけないが、実はそのくらい自分に向き合う姿も今の時代は頼もしい。

 

己の命に向き合うことととブラックホールは似ている。自分と真剣に向き合って生きた時、大きなエネルギーが発生する。ブラックホールは光すらも吸い込んでしまう強烈な力を内に秘めている。命を徹底的に使い切ってエネルギーを集中させると、いつしかビックバンのように爆発するかもしれない。

 

我々は、命を完全に使い切って生きているだろうか?

 

 

 

絵馬に書かれた心理とは?

絵馬に書かれた第三者への願いは、実は、「豊かさ」に安住した生ぬるさであり、それはすなわち、命と向き合っていないことを表しているのかもしれない。

 

本当に食べるものが無くて、今にも餓死しそうな時にも、第三者への高尚な願いが書けるだろうか?もちろん、絵馬はただのイベントの一つであって何を書こうと自由だ。

 

どんな絵馬の願いが理想か?たとえば、後からバカなことをしたと後悔しても情熱を燃やし続ける決意であったり、もっと自分のことしかみえなくなるほど自分自身に没頭している願いであったり、昔の帝国や王朝のような壮大な夢を追い続ける絵馬があっても楽しい。

 

 

 

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