貨幣が無い時代は、ブツブツ交換が基本だった。
それでは不便ということで、『付加価値の見える化』を表す貨幣が登場した。
人類最大の発明といわれる「お金」という概念を商品にしたものだ。
「貨幣」にもライフサイクルがある
さて、貨幣は、銀行の商材だ。
食べ物に賞味期限があるように、当然、お金(貨幣)にもライフサイクルがある。
古くなったものは、使われない。
インフレになると利率が上がると学校で習ったが、「需要と供給の関係」から言えば、お金のニーズが強いから利率は上がる。
しかし、2016年9月現在、多くのお金が眠っている。
お金に対するニーズが低いのだ。
マイナス金利という手法で市中にお金を流そうとするが、使途が見つからないのだからお金は使われない。
現に、多くの経営者が高齢で積極的な投資は行わない。
日本も高齢化が進み消費活動は減少傾向にあると予測する。
消費しないからお金も溜まりやすくなる。
現に、各企業の内部留保は増え、手前資金で十分経営できてしまう会社が多い。
なおさら、お金がいらないというわけだ。
銀行が「貨幣」という概念にイノベーションを起こす
さて、金利が低いと銀行の儲けが減る。
貨幣という商材が売買で使用されないと、銀行にとっての売上が減る。
銀行も人件費がかかる。儲けが減ると賃金を払えない。生き残るために、銀行も商品を工夫しなければいけない。
どうすれば、もっとお金を使ってもらえるか?
銀行は「セミナー」を開催し、経営者を賢くしお金がよく動く社会を作り出そうとしている。
また、「ビジネスマッチング」を行って融資需要を喚起しようとするが、先の理由通り、うまくいかない。
日本は高齢化で、投資モチベーションが低いのだ。
そうすると、新しいお金の需要を強制的に起こさせるには、以下の2つがポイントだ。
- 今の貨幣の価値を無くす
- 貨幣の概念を変える
そうやって、今の「お金」の価値を徐々に無効化していくことである。
例えて言えば、ソフトウェアのアフターフォローを終了し、強制的に新しいバージョンを買わせる動きに似ている。
「貨幣の価値を無くす」、「貨幣の概念を変える」という視点のキーワードとして、デノミネーションやビットコインという記事を書いた。
このままお金が動かない時代が続けば、銀行はこれから本格的に強制的に「お金」という概念に、クレイトン・M・クリステンセン提唱の”破壊的イノベーション”を起こし、需要を喚起してくるだろう。
やはり、通貨発行機関は最強!?
さて、話しは変わり、やはり「通貨発行機関」は最強だと改めて思ったことがある。
まず、下のイラストを見てほしい。
世の中が「A」と「B」の2人と「通貨発行機関(国と大きく定義する)」しかいないと仮定する。
イラストの100という数字は、AとBが相互に提供した付加価値を意味する。
ここにおいて、ぶつぶつ交換が成立する。
会社で言えば、相殺が成立する。
ブツブツ交換が完璧に実現できる社会では、通貨発行機関の役目はない。
相殺禁止の貨幣社会では?
次に、相殺禁止で、交換行為は必ず貨幣を使わなければいけないと仮定する。
全ての「仕入れ」は、行きつく所、自然からの無料の恵みと仮定し、仕入値0円とする。
上の図の例で、AとBが売買取引できるよう、通貨発行機関はそれぞれに100という貨幣を配布した。
AとBは、その貨幣で売買行為を行った。
Aは、自然から無料で仕入れた材料に付加価値を付けて、100で販売した。
Bも同様だ。
他の経費は何もないと仮定すると、
仕入れは0円なので、利益はそれぞれ100残る。
利益の半分が税金とすると、100-50で、それぞれ、50が手元に残る。
すると、来年もまた同じ利益がほしいと考えるのが人間の感情。
稼ぐと購買力が無くなる!?
しかし、問題は、AもBも50の税金を払ったため、それぞれ50の購買力しかない。
そこで、通貨発行権のある機関は、財政出動の名の元、税金で回収した100を、AとBに等しく配分する政策を打つ。(公共事業は、そういう側面もある。)
すると、AもBも購買力が100に戻るので、来年も同じように売買できる。
通貨発行機関(国)は、AとBから、再び合計100を税金で回収する。
「Aの利益」という視点で、上記の流れを時系列で見ると、
1年目50の利益が残り、
2年目は100の利益が残る。
3年目は150の利益が残る。
このように考えると、世の中が常にインフレしていく理由がわかるだろう。
要は、少なくとも去年と同じ利益を確保したいと思う人の感情と税金による購買力の減少が金融調整を誘導しインフレを引き起こす。
創意工夫は経済成長を生まない!?
また、付加価値創出活動(創意工夫)は経済成長とは無関係であることも分かる。
というのも、AとBが創意工夫して経済を成長させようと思っても、結局、貨幣社会のルールで生きている以上、購買力が問題になる。
そして、購買力を唯一完璧に操作できるのが、通貨発行機関だ。
次の事例を見てほしい。
AはBに100の付加価値を付与する。
BはAに100の付加価値を提供できない。
本例は、Bに付加価値提供力が無いケースだ。
*人は能力的に同じではないので、必ず、付加価値創出量に差が生じる。
したがって、等価交換が成立しない。
ということは、Aはモノが売りたくても売れない。
そこで、通貨発行機関は、何らかの理由を付けて、Bに100の購買力を付けさせる。
すると、BはAから100のモノが買えるようになる。
Bは付加価値創出行為をしていないのに、通貨発行機関からもらった100でモノを購入した。
我々の生活の中でも、我々が付加価値を創出していないのに、手当てが貰える場合が多々ある。
財源が無くても、国債という必殺技を使ってお金を生み出す。いわば、無から有を作った感じだ。
通貨発行機関は、人々の購買力をコントロールできるということだ。
どれだけ付加価値創出力があっても、つまり、粗利益を稼げる力があっても、購買力がなければ、経済は回らない。
Bに購買力が無ければ、創意工夫のあるAが、お金持ちになれないということだ。
購買力をコントロールできる通貨発行機関とは?
通貨発行機関を広義の「政府」と定義すると、やはり、「政府が最強」ということになる。
まるで、我々は、通貨発行機関の手の上で踊らされているようだ。
ロスチャイルド系の金融に関する闇の話しは別として、法規上、実質的に通貨発行機関の権限を持つ機関はどこか?
それは、次の4つの条件を持った政府だと仮説した。
なかなか、上記のような政府は無いかもしれないが。
国債残高は永遠に減らないのでは?
ところで、上記のように、政府が発行する「国債」に関して、購買力を減らさないために発動する場合、や、AとBの付加価値創出のギャップを調整する場合に発動する場合は常に存在するので、国債残高が減ることは基本的には無いのではと思った。
現に、国債残高は右上がりだ。
この国債は、世間では「借金」と呼ばれているが、いささか、おかしい気もする。
また、「GDPの三面等価の法則」を適正に当てはめて対処すると、国債は減りようがない性質のようにも思える。
ともかく、通貨発行権を最大限にコントロールできる政府は最強だ。
根本的に、付加価値を創出していないのに、通貨を発行できる……何度考えても、不思議で、その根拠が見つからないが、いずれにせよ、購買力をコントロールできる機関は最強だ。