【最終更新日2017年5月18日】
肉体を冷凍保存する技術がある。
今の技術では治療できない病を患っている人、もっと先の未来がみたい人たちなどが利用する。
本当に、蘇生できるのか?何百年も保存してもらえるか?などの疑問はあるが、それを選択する人は、少なからずいる。
ところで、「輪廻転生」という言葉がある。
仮に輪廻転生が実在すると仮定すると、冷凍保存は過去の自分を見るツールになる。
昔、「人は500年おきに生まれ変わる」と読んだことがある。
仮に、その仮説が正しいとする。
そして、冷凍保存技術が確立して1万年経過し、毎回自分の体を冷凍保存したと仮定する。
すると、1万年後は、20体の自分の前世の姿を見られることになる。
仮に、前世の記憶すら保存できる仕組みが開発されたら、かなり不思議な感覚になりそうだ。
20体の記憶は、どの意識媒体にダウンロードされるだろうか。
20体を同時に蘇生させたら、20人の前世と同時期に生きることになるが、それは、どんな感覚なのだろうか。
その時、「意識」や「魂」は、どうなっているのだろう…など、いろいろ思う。
さて、「冷凍保存」をはじめ、「火星への脱出」や「不老不死の薬」など人類は、「死」に対して、もがいている。
技術進化と共に、死すら無くなる時代に突入している中で、武士道以上の「死生観」が求められていることにどれだけの人が気づいているだろうか。
死生観とは、死を前提とした生き方の哲学だが、これからは、死を前提としない生き方の哲学が求められる。
今のところ予測するに、おそらく、今後、不死の技術が確立されるほど、「生きた死人」を量産することになるだろう。
生きた死人とは、死生観に真剣に向き合ってこなかった人たちのことだ。
ミルキヅク