1=0.999…?
考えるほど1は不思議な数字だ。
不思議といえば、0.99…=1だ。
証明としては、0.99…をxとおき10倍して引く。
すると確かに1となる。
また、例えば、同じ数を繰り返す循環小数は次のように表せる。
とすると、9は1になりそうだ。
たしかに0.99…が1になっているのだが、ずっと9という数字が続くのに1になるのは不思議だ。
そもそも無限に続く数字をxとおいていいのか?とも思うが、実は1も1.00…と0が続いている。
ところで、0.99…が1になるのは、0.99の一番最後に0.00…1と1が足されて1になるイメージがする。
しかし、.99は永遠と続き、0.00も永遠に続く。0の先に1がでる気配は永遠にない。
仮に0の先に1がでてくるなら、0.333は0.3334といってよいのか?
しかし、そうはならない。
だから0.99…に0.00…1を足したものが1ではない。
ところで、1÷3は0.333と3が無限に続くがこれは10進法で考えていたから。12進法ではそうはならない。
10進法という先入観を変えただけで0.33…は割り切れる数となった。
1=0.99…の話も刷り込まれた先入観で見ているから。
視点を変えれば実は同じということがたくさんありそうだ。
刷り込まれた常識や先入観、そしてそれらを引き起こす感覚や知覚に引きずられない時、数学嫌いになる地雷を踏む確率が減るのかもしれない。
はじめに1あり
感覚的に言えば、0は無で、1が有という気がする。
しかし、0も存在しているという意味で1と言えそうだ。
無から有は生まれないとすれば、すべては1という有なのかも知れない。
哲学的には、それを「存在」と呼ぶ。
確かに、0次元の点は1という有だった。
一方、0次元である1の微分は0だが、単にマイナス1次元の見方を知らないから、0としか表現せざるを得ないのかもしれない。
微分積分が単に異なる次元からの見方だけの話なら、1も0も同じとも言えそうだ。
仮に、同じと言えないまでも、状況に応じて姿を変えているのかもしれない。
たとえば、0の1乗は0だが、0の0乗は定義するなら1。同じ0なのに0と1が混在している。
現に、量子の世界では、観察されるまで0か1か確定しないという「重ね合わせ」状態という概念がある。
自分という1
1は根源の数でもあり、人工物でもある。
1つの思考だけがある世界。それが自分という意識なのかもしれない。
もし自分という意識が無ければ、果たして現実は本当に存在しているのだろうか?
デカルトは「我思うゆえに我あり」と言った。
必ずしも「意識」が存在の立証にはならないと思うが、自分という意識が本当に実在しているなら、唯一存在を感じられるのは、自分という意識である。
その意識を通して知覚できる現実は3次元にいる。
そして、時間という人工物の中で、未来に向かって歩んでいると錯覚している。
実はすべての次元は同一空間に存在し、微分積分のように、単に、見る視点を変えているだけなのかもしれない。
100%未来が当てられる占い師が存在したとしたら(それはもはや神だが…)、過去現在未来は同一である可能性が高くなる。
宇宙は無限にあるという説もある。
地球の人口は100億程度にすぎないが、宇宙の無限に比べれば少ないものである。
仮に、1人に1つの宇宙が与えられているとしたら、数学ができないことで悩むことなどない。
数学だけで、社会は成り立たない。
この世界は、お互いが役割を果たすことで社会がまわっている。
あなたがいて、私がいる。
どれだけ数学でできても、単独で存在する命に何の意味があろうか。
命は他の命があって、はじめて生かされる。
この世は誰もが主役の1の世界。
どうか1という不思議な力を自由に掛け合わせて、人生を楽しんでほしい。
それ以上に割れないもの。それが1。
それ以上拡大できないもの。それも1。
ほぼ0でありほぼ無限である1。
極小の内に広がる無限の空間。
無限の外で悟る極小の自分。
1にすべてが詰まっている。
最後に問いたい。
1x1は何ですか?