人生は一度しかないという自分勝手な暗示
「その日を一生懸命生きること」と、「生き急ぐこと」は、全く別の話だ。
「人生は、一度しかない」という暗示に多くの人が取りつかれている。
そして、必要以上に燃え、燃え尽きて、結果、まわりを振り回している人がいる。
人間は、動物であり、動物は自然の摂理の中で生きている。
人間のように、あらゆるものに急いで生きている動物はいない。
また、相手に対して急ぎを要求する動物もいない。
たとえば、ニワトリが、朝早く起きて、急いで、人のために卵を産んだり、ニワトリのリーダーが、他のニワトリに、「おい、お前、人間様のために早く卵を産め!」と要求はしない。
たしかに、ペットなどお腹が空いた時はご飯をくれと「急ぎ」を要求してくるが、それは、人間が動物を軟禁しているからであって、自然界の動物はそういう要求はしない。
餌は自分で見つける。
つまり、「急ぎ」という概念は、人間が勝手に作り出しているのだ。
自然の摂理に、「急ぎ」はない。
我々も、動物だ。急がないのが普通なのだ。
急ぎの本質とは?
そもそも、「急ぐ」意味は何なのか?
現代人は、「何のために急ぐのか?」の本質を考えないで、世の中にあふれる「急ぎ」要求に対応し、疲弊しきっている。
世の中が便利になるほど、人は待てなくなっている。競争によって、時間間隔が短くなるからだ。
たとえば、A社が当日配達サービスを行えば、当日配達を行わない同業種のサービスレベルは相対的に低下する。しばらくして、当日配達サービスを我々が当たり前と思うようになると、2,3日待つことが長く感じる。
「急ぐ」とは、つまり、どういう意味なのだろうか?
自然界は、急ぎを要求していないのに、なぜ、人間だけが急ぐのだろうか?
「急ぐ」と何か良い事でもあるのだろうか?
たしかに、善は急げと言われる。
しかし、この場合における急ぐ意味は、上記とは違う。自然界の法則に従い、善いことに倣えということだ。
つまり、善の行動をとっていない人は、時間の長さに関係なく、善の行動を取れという意味だ。
1日は24時間。これって本当?
一日は24時間だが、これは人間が勝手に作った時間の解釈だ。動物は、「腕時計」をしない。その日、その瞬間を生きている。そもそも、時間という概念すら意識していないように見える。
「急ぎ」とは、時間概念を持った人間特有の要求だ。地球は太陽を回る。だから、朝と夜があると感じている。
明暗があると、時間が流れている気がするが、地球の軸を太陽と垂直にすれば、北極では夜は無くなる。今でも、白夜が続く地域があるが、そういった世界では、時間感覚が希薄化しているだろう。
なぜ人は急ぐのか?
なぜ、人は急ぐのか?一生は短いという暗示が原因なのか?
「一生は短い」というのも、時間概念を持っている人間特有の傲慢に過ぎない。ときに、そのフレーズが、人生のモチベーションを上げるための脅し言葉で使われたりもする。
思うに、一生は、長いとか、短いではなく、有るか、無いかだけの話しだ。今、ここに、命がある現実を見つめ、今というこの瞬間を生きること。それが大事なのだと思う。
急ぐ必要はない。急ぐと相手にそれを要求するようになる。
しかし、そもそも、自然界は急ぎを要求しない。自然の都合で朝を短くしたり、長くしたりはしない。木が納期に人間様の納期に合わせて突然早く成長したり、川が意識を持って突然早く流れることもない。
知恵を絞れ
急ぐ前に、人間の特技である、知恵を絞ってほしい。長時間労働も問題視される時代になった。知恵を絞って、自然の摂理に合った生活ができるよう工夫することが理に適っている。
「急ぎ」の本質を知るヒントになる参考記事
ミルキヅク