世界の金融資産は、証券、債券、公債、銀行預金など200兆ドル強(2010年)程度あった。
1ドル100円で計算すると、2京円ということだ。
「京」とは、「兆」の次の単位だ。20,000,000,000,000,000 円
2京円を、世界人口80億人で分配すると、一人250万円だ。
一人250万円あれば、世界的な物価標準で、1年間以上、全世界の人が、何もせず、食べていくことができる。
では、本当にそれをすると何が起きるか?
お金さえあればいいのか?
当たり前だが、人が動かなければ、経済は大混乱する。
電気はとまり、水はとまり、農作物はなくなり、交通機関はとまり、埃がたまりゴミの山と化す
結局、貨幣があっても、手足を動かして、働かなければ、全員死ぬということだ。
たとえ、お金がどれだけ社会にあろうとも、実体経済から乖離したお金のマヤカシに騙されてはいけない。
お金を貯めて悠々自適に生活するという発想があるが、原理原則には合わない。
あなたにお金があって、悠々自適に暮らせるのも、「お金があるから」ではない。
本質は、「あなたが生きていけるように誰かが働いているから」だ。
そういった意味で、「お金」は、本質を見えにくくする。
お金は人を傲慢にする
もちろん、人よりも稼いだのだから、そのお金を使って、自由にやって何が悪いと思うだろう。
しかし、稼ぐことができたのも、あなた以外の者に購買力があったからこそであり、その購買力は、結局、労働によって、言い方を変えれば、付加価値活動によって、得たということだ。
シンプルに言えば、世の中が2人しかいないと仮定すれば、AはBのために、BはAのために働いたということだ。
お金はお金を生むような幻想があるが、本質的には、そうならない。
それが本当なら、全人類が、1年間、何もせずに休んでみればよい。
すぐに、理解できるだろう。
有名なことわざだが、
駕籠に乗る人担ぐ人,そのまた草鞋をつくる人
本質をついている。
お金持ちに対する批判でも、質素倹約の話しでもない。
ただ、「お金」そのものに魂が捉われる前に、各自が理念に基づき、役割分担を果たす姿勢がお金の本質だ。
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